雑記 Diary2009/09

レベル0
涼宮ハルヒの憂鬱」について全くしらない人向け。原作小説もDVDも前回放送も知らない人。
レベル1
前回youtubeにupされている回まで視聴した人向け。
レベル2
文章が書かれている時点でupされている回を視聴した人向け。
レベル3
前回放送分(いわゆる一期:現在DVDになっている分)を視聴した人向け。「『七夕』って何?」
レベル4
原作「憤慨」まで読んだ人向け「長門さんの小説っていいよね」
レベル5
原作「分裂」まで読んだ人向け「『わたぁし』って誰?」

22話配信終了、23話も放送開始
ネタバレ度2 22話まで見た人

 22話「涼宮ハルヒの溜息Ⅲ
 前回撮影開始と共に消えていたコンタクトレンズが朝比奈さんの目に復活。これはアニメ版「朝比奈ミクルの冒険」と一致するし、原作「溜息」には、書かれていない(食事中に朝比奈さんが顔を上げるところには描写があります)ものの、着替えたときに装着して撮影時には外し、エアガンを撃った後に再度装着したと考えるのはいくらなんでも不自然。ミスではなくわざとやっているのでしょう。
また、 今回のOKカットはミクルが神社で鳩に囲まれてしゃがみこむところ(00;02;56)とミクルビーム発射(00;09;41)の2箇所。
後者は「朝比奈ミクルの冒険」では 三脚に固定してfix→あわててカメラを上げ下げ だったのが手持ち→カメラを持ったまま駆け寄る に変わっただけでなく、**)声やカット頭のフレーミングも異なっています。どこを切っても「朝比奈ミクルの冒険」の該当カットにはなりません。
朝比奈ミクルの冒険 Episode00」が虚構であるように「涼宮ハルヒの溜息」もまた虚構なのです。

 (00;03;05神主こらーの次の次)早いpan。流線が入っていたりして一見キョンの主観っぽいのだけれど、カット頭にキョンが映っている。

 (00;03;05ハルヒ撤収ーのつぎ)いつのまにかはるか前方に立って待っている長門。原作どおりですが、これで誰もおかしいと思わないあたりスゴイ。(00;02;43おまえは日本語が読めないのか)からこのカットまで長門が写っていないので、観客も長門を無視させられているのです。

 蕎麦屋での会話もけっこう重要ではないかと思っています。
もちろん、胸ばっかり育ってもコアなマニアに喜ばれるだけよが驚くべき事に原作どおりだとかあいつらでいいだろそれでいいわと即答とかも楽しいのですが、

あんたなんか想像してる? まさかあたしのウェイトレス姿を妄想してるんじゃないでしょうね(00;04;50)とキョンの心の声を的確に言い当てられるのは、ハルヒ自身"朝比奈ミクル"に自己投影しているから。(くわしくは次回以降に)

 そう考えるとかわいそうな少女がとことん酷いコトされて、最後にハッピーエンドになるってのが、この映画のテーマだから(00;05;43)も気になります。ハルヒにとっての日常はかわいそうな少女がとことん酷いコトされなのでしょうか。不如意だった中学時代の自分の為にこの映画を作っているのだとも考えられます。

 (00;06;45ハルヒアクション!→00;08;25ハルヒあんたも冗談のわからない奴ね)斜め構図と不穏なピアノでハルヒの苛立ちを表現。コメディー風な中でこういう演出になるので、何こいつ?ハルヒってヘンな人?と思ってしまいがちなのですが、ハルヒ自身なぜイライラしているのかわかっていないのでしょう。話しているうちに興奮してきて朝比奈さんをメガホンで叩いてしまうのも、自分のわけのわからない苛立ちを抑えられないから。それをキョンに力ずくで止められてしまうのはクライマックスの伏線。この世界でハルヒを止められるのはキョンだけ。首根っこを押さえられ、まともな人間がビームなんか出すかと言われてふん!解ってるわよ それくらいと言います。憂鬱Ⅳ(00;01;07)のふんだ、男なんてどうでもいいわ。と同じです。キョンに現実を納得させられてしまった事で、抑えられた感情がハルヒパワーとなって暴発します。

ミクルビームが照射され、それを長門が超常の力を使って阻止してもハルヒはそれを認識できません。*)
不思議のありかを知っている筈のキョンに否定されると、もはやそこには不思議はないのだと信じてしまうのでしょうか。

 ハルヒなにやってるの二人とも(00;10;36)ハルヒが話しかけている二人は朝比奈さんと長門なのですが、ハルヒは長門のほうを見ようともしません。朝比奈さんに苛立ちをぶつけるのではなく、もし長門に「ねえ有希、あなたって本当は普通の高校生じゃないわよね」と聞いたら、長門はどう答えたでしょう。まだ確信がないハルヒにはそれができません。ですが、長門にはその問いに自ら答える時がまもなく来るのです。

 にしても、俺は長門に命を救われてばかりだな(00;19;07)これはアニメ版オリジナルの台詞。一日が終わって、始めて冷静になる。そしてモノローグですが、今回始めて長門のしてくれている事を認めます。長門がキョンの為になにかをするのは非日常的な事件がある時だけ。そしてふつうの高校生でいたいキョンが長門の存在を認めるのは自身を宇宙人や未来人や超能力者の出てくる物語の主人公だと認める時なのです。このシーンで長門と朝比奈さんが座っている駅前バス停のベンチは、「笹の葉ラプソディー」でキョンと朝比奈さんが座っていたベンチ。3年前から戻って朝比奈さんを送るときに、キョンはいつか誰かが教えてくれるさ、すべての落ちがつく時に(00;21;20)と、いつか物語の終わりが来て、朝比奈さん達未来人の秘密を知らざるをえないだろうと予感していました。そのベンチです。

 翌日の北口駅前。
古泉長門さんは『彼ら』の中でも一際異彩を放っているような気がしますね。(00;21;33)原作では彼女には単なるインターフェイス以外に何か役割があるのではないかと、僕は考えてもいます(p.161)と続く。長門の観測(エンドレスエイト)以外の役割は、「朝比奈ミクルの冒険」で彼女自身の口から語られます。

 谷口と国木田の雑談にこんなバカ二人に助勢を仰がねばならんとは(00;22;17)と心の中で毒付くキョン。モノローグとは言えひどいと某掲示板でも書き込み殺到。しかしキョンは前日死にかけているというのだという事を忘れてはいけません。しかも戦慄すべき事に朝比奈さんとハルヒによってです。今日はもっと恐ろしい事になるかも知れないのに、谷口はアホ話をしている -それは休日の高校生としては自然なことなのですが- ということに苛立っているのです。
 鶴屋さんの呼称が涼宮さん有希ちゃんと、1期と違っているのは原作どおり(00;19;51/p.156)。これから「ハルにゃん」「長門っち」に変化するということでしょう。鶴屋さんにとっても次回が転機。

 ハルヒに手を引かれ、処刑場に引き出されるような朝比奈さんと、ベンチに座って星のついたステッキを挨拶するように(?)ゆるゆると振る長門(00;22;49)。原作では長門は星付きアンテナを持ってぼんやりしている(p.164)なので、前回に続き朝比奈さんと長門の姿勢の違いを強調しているのだと思います。「安心するがいい朝比奈みくる。私が守る」ですかね?

 blog巡りをすると、この長門を、ミクルビームからキョンを守るひたむきさと相まって小動物のようにかわいらしいと好意的なサイト多数。しかし同時に違和感も強調されており、リアルで想像するととかなり不気味な光景でもあります。

 余談ですが、原作「分裂」に登場する九曜は不気味に描写されており、二次制作サイトでは寡黙な美少女に描くところと、壊れて捨てられた人形のように描くサイトの両極端なのですが、私は外見上は長門と九曜に差はなく、キョンが長門に親近感、九曜に違和感を抱いている事だけが描写の違いになっているのではないかと思っています。

*)某掲示板では、「朝比奈さんの目が光ったのがビデオに写っているなら既にビームは発射されているじゃん。手遅れじゃね?」と議論。
2回目の照射をコマ送りで見ると解るのですが、朝比奈さんがウインク→左目が光る→光が消える→照射です。はじめに目が光った時点ではまだ照射されてないのです。(09/09/06)
**)よく見るとズームアウトして駆け寄っていますね。すみませんでした。(09/09/21追記)

23話配信終了
ネタバレ度2 23話まで見た人

23話「涼宮ハルヒの溜息Ⅳ
 今回は原作からの改変が多い。
ハルヒさっさと乗り越えなさいよ。(00;00;26)ハルヒというキャラクターの面白さが、「お説教口調で行動はガキ大将の美少女」にあると言う事がよく解ります。(見かけ上)平穏でハルヒが奇矯な事をしなければ、キョンのオヤジ口調とあいまってSOS団は擬似家族化しますが、これはアニメ版スタッフの仕掛けです。その仕掛けが最高度に発揮された12話を、この上なく美しい夏の擬似記憶にしてしまった人も私だけではないでしょう。しかし、その美しい記憶を持っているのは作品中では長門だけで、ほかにはもうだれも覚えてはいません。俺の課題は終わってねえ!と言えるキョンが欲しかったハルヒが消し去ってしまったのです。

 池のステージでは、ちゃんとカットを割って撮影していますし、団員外のメンバーがいるからでしょう、ハルヒは撮影意図をちゃんと説明しています。しかし、やはり事件が発生します。
さっさと引き上げられるといいんだが(00;02;15)朝比奈さんは、彼女にしては珍しくハルヒの手を振り解きます。今まではハルヒの意に沿わぬ事をすれば自分が恐ろしい目に会うかもしれなかったのですが、今回はひとを傷つけてしまうのです。

 抵抗も空しく前日と同じようにコンタクトを入れられた朝比奈さんの目に涙がにじんでいます。(00;02;39)
 ミラクルミクルアイRが原作と違って左目になったのは、ミクルビームのシークエンスと同じ構造である事を強調する為でしょう。

 長門がミクルアイを止めた後の4人の会話は長門+古泉vs朝比奈+キョンになっています。前回「溜息Ⅲ」と違って長門がちゃんと見えています。しかし、それが逆にコトをエスカレートさせます。「射手座の日」と同じく、誰も悪くないのに各人の普段の性格通りの会話だけで、どんどん追い込まれてしまいます。今回は朝比奈さんとキョンが我慢を強いられ、それがクライマックスへの流れをつくってゆきます。寡黙な長門の視線を前にしては、朝比奈さんはできないとは言えません。しかも長門は朝比奈さんに与えられた力で2度も怪我をしているのです。

 谷口おいおい、この池にかよ(00;06;42)ハルヒがよからぬ事を企むたびに爆笑する鶴屋さんと、苦言をこぼす谷口。ハルヒとキョンの心を代弁しているようです。鶴屋さんの、朝比奈さんの親友とは思えない態度に某掲示板でも非難集中。天候と同じようにハルヒパワーにあやつられているようにも見えます。

 不気味なBGMは現実の歪み。/ハルヒの感情
あのさあ、あたしの家がすぐ近くなんだけどさあ、みくるが風邪ひきそうだから、着替えさせてやってもいいっかな(00;08;35)キョンとハルヒの口論に助け舟を出す鶴屋さん。そのおかげでお役御免になる谷口。キョンは代弁者を失ってしまいます。

 余談ですが俺は今、猛烈に理性を試されている。(00;09;50)は星飛雄馬ですよね。今のファンは誰もわからないぞ。

 ハルヒもういいから押し倒してキスしちゃって(00;10;50)ハルヒ大喜び。なんでこんなにハイテンションなのかというと…少なくとも意地悪でやっているのではありません。キョンは一見ポン寄り3連を撮っているように見えますが、ファインダ内の時刻表示を見ると*)一つつながりのカットであることが解ります。キョンの指や口のアップが写るカットが挿入される時、キョンは録画状態のままズーム操作をしていると考えるべきでしょう。キョンは中断なしで、しかもズームしながら朝比奈さんと古泉のキスを見せられているのです。それにしても、なんて適切なズーム…ってのは言わないお約束。

まてこら(00;10;57)激しい口論。はじめは三角関係なのですが、ハルヒの言葉はキョンが自分の気持ちを理解してくれないことへの怒りに、キョンのそれは、だれもハルヒの横暴を止められないことへの悲しみへと変わってゆきます。キョンの怒りは明確なのですが、ハルヒがなぜそこまで映画撮影にこだわる(料理業界用語や富野監督用語でもなく、標準語の「こだわり」=拘泥/執着です)のか、まだこの時点ではあきらかではありません。ただ、憂鬱Ⅱのビラまき事件のように、ハルヒ自身は自分がされて嫌なことを命じているとは思っていないのでしょう。

 ハルヒあたしは団長で、監督で……(00;14;20)からとにかく、反抗はゆるさないからまで5秒あります。激しい感情が言葉にならないハルヒ。このあたりの表情の変化の描写はすばらしい。特に先月ファーストガンダムを見ていたせいもあり、息を呑むばかりです。30年前はあのレベルの表情の描き分けや無言の演技がすばらしいとファンはみんな絶賛していたんですよ。放送が終わった後、放心してしばらく言葉が出なかった回もすくなくありませんでした。今回この口論のシーンを5回くらい繰り返して見ていますが、見るたびに感動で涙が出ます。30年でTVアニメの描写力は信じられない進歩を遂げました。この回の事では無いかもしれませんが、「けいおん顔」「作画崩壊」なんて叩いている某掲示板住人はお台場でガンダムに踏まれて欲しいものです。

 でないとこいつは、一生誰からも避けられるアホになっちまうんだ(00;14;46)古泉、鶴屋さん、長門の三連ショット。ハルヒ練習の後(00;12;58)にも同様の三連ショットがあります。それぞれの表情の変化。特に長門は先行カットでは冷徹な観測者として事態を見極めようとしているように、後のカットでは重大な決意をしたように見える、というのは穿ち過ぎでしょうか。彼女が今背にしている丸窓(書院障子っていうんでしょうか)で、彼女が第二の使命を話すときがもう迫っています。今まで自分の心を隠していたキョンが、ハルヒとここまで激しい感情のやり取りをしている。1期では無かった事です。そして、ここまで気持ちをむき出しにして叫ぶ事ができるのは「エンドレスエイト」の8回繰り返しがあったから違和感がなくなりました。15000回の夏から俺の課題は終わってねえ!と叫ぶキョンが選ばれたからです。原作「溜息」「エンドレスエイト」を読んだときに、「なにこいつ急にかっこつけやがって。キョンってこんな事言うやつだっけ?」と思ったのは私だけではないでしょう。しかしこの回のキョンが変だと思っている人は少ないのではないでしょうか。

 このキョンだからこそ長門は使命を打ち明ける事ができる。そしてこのキョンだからこそ、「消失」を乗り越えることができるのです。

 けんかはだめなのれす れないと、あ これ 禁則れした(00;14;51)朝比奈さんが禁則事項を話そうとするとどうなるかは、原作では2パターンあります。一つは「エンドレスエイト」の深夜ミーティングのように、話そうとする単語が「禁則事項」に置き換わってしまうというもの、もう一つがこれです。説明しがたいので原作の該当部分を引用します。

けんかはだめなのです……うう……っぷ。みんなはなかよくしないといけません……。そうしないと……んー。ああこれきんそくでしたぁ(溜息p.198)

 かなりヤヴァイ描写に見られる可能性がありますから、どう表現されるのか気になっていました。さらっと流したようにも見える一方で、これは禁止ワードを口にしようとした為に脳がサスペンドしたように見えて却ってブラックです。そう考えると、朝比奈さんはその場で気絶する危険を冒してキョンを止めた事になります。

 キョン君ごめん、調子に乗りすぎたよ(00;15;09)きちんと背筋を伸ばしてキョンをまっすぐ見て謝る鶴屋さん。すぐにいつもの笑顔に戻ります。竹林にかかる夕日。あれからなにがあったか、何故ハルヒがいないのかは想像せよというわけ。少なくとも鶴屋さんがハルヒの気持ちを酌んでくれて、ハルヒの分まで謝っているように見えます。恐らくはキョンと今の関係でいる限り二度と見せない表情だとは思いますよね。また余談ですが、鶴屋さんの、この憑き物が落ちたハルヒのような笑顔を見て、キョンが七夕の短冊に書いた願いがどんな風にかなうかわかったような気がする…なんて書くとまた穿ち過ぎなんて言われるんだよなあ。

 ピアノはハルヒの悲しみ。でも嘆いているのはハルヒだけではありません。
 翌日の学校。文化祭直前なのにまるで無人の校舎。心象表現ではなくハルヒの力。谷口の一言がきっかけになるのは、「ライブアライブ」「消失」と同じ。たんなるパターンなのかそれとも。

 ラストシーンでは、始めてハルヒ、朝比奈さん、長門とキョン、古泉になっている。ハルヒは朝比奈さん、長門の順に話しかける。

 今回のOKカットは池でのシーンと、鶴屋邸での撮影分。okになっている分より、残りをいつ撮影したかが気になります。池ではそれじゃあ全然繋がらないぞ(00;08;16)とキョンが怒っていますから、この時点では朝比奈さんが水から上がった後のイツキとミクルの会話や、そのあとイツキがミクルをお姫様だっこで自宅に連れてゆくシーンは撮影していない筈です。この後で撮影したんでしょうか?根性あるなあ。

 もっとすごいのは鶴屋邸でイツキがミクルをふとんに寝かせた後です。完成フィルムではイツキは寝たままのミクルに口付けしようとするとユキがそれを止め、ユキとイツキの会話シーンになります。後日撮影したのでしょうか。ただ窓際の花が今回と同じなんだよなあ。

 もう一つは川沿いの桜の下でのラストシーン。原作によると桜は咲いたと思ったら次の日には散っていた(p.252)なので、いくら上機嫌とはいえ、昨日大喧嘩したばかりなのにキスシーンが撮影できるというのも凄いとしかいいようがありません。原作を読む限り猫を探しに行った後は川べりに戻ってきていないので、今回ラストの時点では既に撮影は終わっているのです。
 それからもう一点おまけです。某掲示板ではハルヒはさすがに反省して朝比奈さんをいじめなくなっただろうという議論。

77
原作見る限り映画自体は続行してるけど池に落とす、酒を飲ませる、ぽかぽか叩く
みたいなことをやってる気配はないと思う。
一人の人間としての理不尽な仕打ちよりも例のパワーの暴走の方の描写がメインになってるし。
86
>>77
映画の中でも、ウエイトレス姿にはなってるけど、校内でやる気のない
戦闘やらラブコメやらをやってるだけだしな。 涼宮ハルヒの憂鬱 SOS団の活動1508日目 77および86より

 甘いですよ77さん86さん。ラストバトルで柵の無い屋上に後ろ向きで隅に立たされて、恐ろしさのあまり座り込んでしまったり、街中でのミクルとユキの対決シーンでは(恐らくハルヒに)突飛ばされて電柱に顔をぶつけ、脳震盪寸前でいたた、あなたの思い通りにはさせませんと叫ぶシーンはユキの肩にシャミセンが乗っていますから、この時点ではまだ撮影されていないのです。

*)ファインダ画像のカットを良く見るとわかりますが、ファインダ右上の表示はタイムコードではなく、録画ボタンを押すたびに00:00:00からカウントしているようです。

24話配信終了
ネタバレ度2 24話まで見た人

24話「涼宮ハルヒの溜息Ⅴ
 前回のこの映画は絶対に成功させようで終わりにならないのがハルヒ。長門に焦点が当たると、とたんに思弁的になります。ほんの少しでも誤解が解けて理解しあえる、というのがフツーの物語の落としどころだとしても、そこでは落ちないのです。

 何故本来ならクライマックスのはずの後々後悔したくなる事をしたくなってきたじゃねえか(溜息Ⅳ 00;21;47)以降が、盛り上がりよりも違和感を強調するような演出だったのか、明らかになってきます。
今回の主役はシャミセンと長門。

 シャミセンどちらでもかまわない(00;02;00)長門の肩に乗っているシャミセンに、(長門の事などかまわず)頭をなでるキョン。4人のうち最後に長門が振り向く。撮影中からこのカットまで長門は動いていない。もう終わったから動いていいと誰にも言われていなかったからでしょうか。

 シャミセン何をもって君は私が言葉通りの意味を込めた発声をしていると確認するのか(00;02;45)長門のマントをずり上がっても、台詞に力が入らない。フィルムをみれば緒方さんのようなヴェテラン声優でなくても「…発声をしていると うむっ 確認するのか」とあいだを切るでしょう。故意に力を入れる演技無しで発声しているということです。「中国語の部屋」パラドックスを思い出したのは私だけではないでしょう。確かに自己言及。シャミセンが話し出すと長門の顔がフレームに入りません。

 長門には本心を話して欲しいというハルヒの気持ちがシャミセンに会話能力をもたらしているのでしょう。しかし話される事は会話の不可能性という、あれ?ヤン・シュワンクマイエル? そういえばTV版「新世紀エヴァンゲリオン」の「男の戦い」からもシュワンクマイエルの「男のゲーム」が思い起こされて、あーいやいや…orz

 失礼しました。もとい、使い魔というと、「太陽の王子 ホルスの大冒険」のヒルダの「おともだち」チロとトトみたいに(かなり古いですが)、頼まれなくても主人の気持ちを代弁してくれる小動物キャラクターを思い浮かべる人は私だけではないでしょう。そういった存在をハルヒが求めていたと考えるとシャミセンの立場が想像できます。しかし、シャミセンが語る事は確かに真実であるものの、誰にとっても面白くない事でした。

”私の語ることが、そしてそのあなたの理解が、私の思いを表しているとだれがいえる?”

 古泉しゃべる猫やミクルビームが現実に存在すると証明された瞬間、我々の世界は変容します…(00:05:03)世界は変容しますに合わせてグラスがカメラの前を覆う。これは長門のグラス。いつ氷まで食ったんだと突っ込みたくなるが、憂鬱Ⅲ(00;11;52)でストローを鳴らしたハルヒを見て以来、長門はエンドレスエイトで何千回もソーダをそうやって飲んでいただろう事を思うと、シャミセンの言葉とは裏腹に長門の気持ちが見えてきます。「もうあきた」

 古泉夢落ちですの次(00;05;039)珍しい長門なめのカット。勿体つけて語っていた古泉の言葉も、長門視点では道化。原作のメタ話が大幅にカットされたうえに、困っているのは古泉だけという悲惨なシーンに。
確かに自作を嘘、デタラメだと自己言及するというのは酷い。それが「朝比奈ミクルの冒険」でも「涼宮ハルヒの溜息」自体でも。*)

 ハルヒはどうだ(00;06;12)ハルヒの席をふと見て、目をそらすキョン。「ハルヒにとって」を考えている自分の視線を知られたくない。

 ホームセンターの前でシャミセンが顔を洗っていたのを受けてか、翌日は雨。この天候はアニメ版オリジナル。ハルヒがキョンとの意識のズレを感知したのでしょうか。ハルヒが明日からはいよいよクライマックス(00;01;33)と言っていたのに。笑顔は鶴屋さんだけ。

 ハルヒのテンションに連動するかのように雑然たる雰囲気を着実に増大させていた(00;06;52)のは新館だけで、鶴屋さんと朝比奈さんに呼び出されて朝比奈さんの話を聞く渡り廊下は無人。この連絡通路は、キョンの教室がある本館と中館の間のものではなく、中館と旧館の間のもの。

 (00;08;48)のカットでは、朝比奈さんの後ろの暗がりの中で鶴屋さんが待っています。雑然としたハルヒの表層意識をあらわす本館側ではなく、望みを表す無人の、暗い旧館のほうに立っています。鶴屋さんも、こっち(超常)側の人間。

 文芸部室では、いつもハルヒを「観測」しているパイプ椅子に座った長門が、ハルヒの席に座ったキョンに語りかける。朝比奈さんの考えでは、ハルヒの認識を妨害する(00;10;08)のが自分たちだという事になると、ハルヒが望みをかなえるために作った部室で。その願いを記した七夕飾りの前で。

 長門私がどんな真実を告げようと、あなたは確証を得る事ができない(00;11;18)」との言葉にキョンは苛立ち何故だと叫んだものの、長門の瞳にたじろぐ。長門の言葉の意味はシャミセンのそれと同じ。

 長門私の言葉が真実であるという保障も、どこにも無いから。あなたにとっては(00;11;32)知る事への恐れを見透かしたかのような長門の言葉に、雨の止んだ新館へ戻ったキョンは、わからん。(00;11;45)とつぶやきます。”わからない(理解困難)”ということが解ったのだと言う事も認めず、ただ単に”わからなかった”という事にして誤魔化してしまうのです。

 校舎内でオーブ(知の象徴)を奪い合う剣士たちに目もくれないキョン…と解釈するのは考えすぎでしょうか。

 真実にたどりつく事を拒んでいるのはキョンだけではありません。雨の振る校舎=退屈な現実にはいられなかったハルヒは、自身の力によって朝比奈さんが水撃弾やライフルダートを出しても、やはりそれを自分で見ることができません。

 夜、キョンを訪れた古泉の涼宮さんには永遠に知らないでいて欲しい(00;13;56)話。キョンが冗談は聞き飽きたとはねつけるのは、古泉の目的が不信感を植え付ける事だから。ほっておくわけにもいかないかと、見上げるキョンの上空に輝くオリオン座大星雲。この演出の意味が…確かにキョンの自覚以上に現実がエライ事になっていると言う事ではあろうけれども…… よく掲示板で言われている情報統合思念体ツンデレ説、つまり

 長門「昼間はああ言ったけれど、教える。か、勘違いしないでほしい。あ、あなたのために教えるのではない……」と理解するのも、なんというか。キョンの見ている世界、つまり「涼宮ハルヒの溜息」自体がフィクションであり嘘っぱちだと理解したのかもしれません。

 翌日キョンがハルヒを説得したのは、憂鬱ⅠでハルヒがキョンにSOS団設立を持ちかけた階段の踊り場。その時とは逆に、宇宙人、未来人、超能力者の現れる物語をフィクション嘘っぱちと呼ぶようにと、彼女の唯一の理解者でいて欲しかったキョンが言うのです。これを現実の理解/適応というのはあまりに残酷。

 さて、映画を完成させたのはだれなのでしょうか。

 エピローグは憂鬱Ⅵエピローグからの続き。エンドレスエイトと同じく、先にハルヒが去って行く映像ですが、今度は扉の向こうでハルヒが待っています。今期の新作最後に至って少しは理解しあえたのかと思うと、これは実際は一期(放送順)最終回直後の映像なのです。本当はここから3年前へ旅したり、600年ループした後、現実変容の危機を迎えた挙句に、ここで話した内容がでまかせに過ぎないとハルヒが納得して今期は終わりになりました。

 一期14話(時系列順)では閉鎖空間から帰ってきたハルヒは、野球大会、合宿、文化祭と現実の楽しさを知り、冬の雨の日に相合傘の平凡で小さな幸せを得てラストを迎えたはずでした。しかし今期新作が終了してみれば、ひたすら待ち、傷つき600年の孤独に耐えていた長門と、真実に向き合う事を一日伸ばしにしてきたキョンの弱さが明らかになり、キョンの自己欺瞞がハルヒを物語から疎外していた事が見えてきます。一期では未熟なハルヒを優しく見守っていたキョンのやれやれが、世界の為だと自分を納得させハルヒと向き合う事を避ける言い訳になってしまいました。

 さて、恐らくは今期は「サムデイ イン ザ レイン」で終わりでしょうが、同じ内容でも一期とはこの回の位置づけが変わって見えてくるでしょう。
多くのファン待望の「消失」のプロローグとなる「サムデイ」ですが、今回放送で見直したときにどう見えてくるでしょう。

おまけ
こういう怪情報も某掲示板に書き込まれていました。
 うそくさいなあとおもいつつつも、件の病院をgooglemap ストリートビューで見ると(このリンクでは狙った角度にならないかも知れませんので、mapをドラッグして建物を正面にしてください。古いhtmlエディタですみません。)実にかっこいい建物です。機関の息がかかった病院で、○○○が入院すると言われると信じてしまいます。

 いきなり追記:ここまで不可知/コミュニケーションの不可能性を最後にもってきて、テーマ上真実は果たして明らかになるの?とか、映画が嘘っぱちだとハルヒが自覚したなら、宇宙人未来人超能力者も嘘っぱちになるんじゃね?は重要な問題ですが、いかんせん長すぎるので稿を改めて。

*)これは「憂鬱」のラストがいわば夢落ち(特にハルヒにとっては)だった事を受けているのでしょう。(09/11/04追記)

25話配信終了
ネタバレ度2 25話まで見た人
25話「朝比奈ミクルの冒険 Episode00

 以下役名をミクル、イツキ、ユキと、演じているキャラクターをいつものように朝比奈さん、古泉、長門と呼んで区別します。

 1期放送済エピソードなので簡単に。でも繰り返し見るのが辛い作品。何度見返しても「ああ、これは○○を**して失敗したのを△△で再現しているんだな」的な技術ネタで見てしまいます。言うまでもありませんが、技術力を駆使して”ショボイ自主映画”にみせかける(”再現する”ではなく)という、2000年以前のTVアニメの作り手にはおそらく思いも寄らなかった作品です。隅々まで注意を行き届かせなければ自爆は必至でしょうが、そっちのほうは我慢して見る事にします。

 前後の作品との関連で注目するのは長門のアドリブです。長門古泉イツキ。あなたは彼女を選ぶべきではない。あなたの力はわたしとともにあって初めて有効性を持つことになるのである(00;13;38)今言えるのは、あなたの選択肢は二つあるという事だ。わたしとともに宇宙をあるべき姿へと進行させるか、彼女に味方して未来の可能性を摘み取るか(00;13;54)

 直後のキョンのリアクションと、古泉(これもアドリブなのでイツキでなく古泉)の「彼」を鍵に例える台詞から、長門はイツキをキョンに見立てている事がわかります。

 長門が憂鬱Ⅲで初めて言い、エンドレスエイトで恐らくは8000回は繰り返しキョンに言っただろう観測以外の役目を初めて口にした瞬間です。彼女は朝比奈さんでしょうから、未来の可能性を摘み取るとは、「ハルヒ」作品時間での総ての規定事項を満たして、現在を朝比奈さんの未来につながるように誘導する(=結果的に、それ以外のあらゆる可能性を否定してしまう)事でしょう。溜息Ⅴで長門がキョンに説明した事でもあります。対する長門の「宇宙をあるべき姿へと進行させる」とはどんな事なのでしょうか?、それに対して古泉は保留って事で、今回は手を打ちませんか?と言います。長門が呼びかけている=選択肢を持っているのは古泉ではなくキョンですが、機関のおもわくも選択には関係しているようです。もし、古泉が保留と答えなかったらどうなっていたのでしょうか。

 アドリブのきっかけとなった長門の台詞待つがよい(00;13;34)は、溜息Ⅳのキョンの待てこら(00;11;56)」と対応しています。キョンが朝比奈さんの為にハルヒに拳までふりあげようとした事がこの発言のきっかけなのです。

 以前、この選択枝とはメタレベルで言えば、
長 門「読者が想像もつかないクライマックスと結末が望ましい」
朝比奈「あのう、伏線を回収してくれないと…こまるんです」
古 泉「そもそも学園ものなのですから、ジャンルをはみださないようにお願いしたいものです」
の対立であって、総ての物語の根源的対立ではないかと書いた事があります。まあメタ話はともかく

 長門は何故目の前にいる朝比奈さんを「彼女」と呼んだのでしょう。それはミクル=朝比奈みくるではないからだと考えます。

 ヤマツチモデルショップCM明けのホームドラマ展開(00;16;20)で、イツキの妹としてキョンの妹を登場させている事からも、ハルヒは長門の指摘どおり、イツキをキョンに見立てている事がわかります。となればミクル=ハルヒでしょう。そうでなければ溜息Ⅳであれほどまでに映画に、特にキスシーンに拘泥した意味が解らなくなってしまいます。

 ミクル=ハルヒとすると、ハルヒパワーが、朝比奈さんに攻撃力を、長門に会話力(シャミセン)をもたらした理由もより明確になってきます。長門の力を見たい、長門に秘密を話して欲しいという事でしょう。ある意味、秘密は長門の口から語られましたが、ハルヒはその意味を理解したのでしょうか?

 さて、前回雑記で提示した2項目です。

 まずテーマ上真実は果たして明らかになるの?については、3大勢力の思惑がどうあれ、どんな謎が不可解なまま残されようとキョンにはハルヒに語らなくてはならない秘密があります。逆にそれを語っただけでこのシリーズは終わってしまいます。「溜息」は原作では2巻ですが、憂鬱ラストで語られて終わるはずだったのを仕切りなおし、再度提示しなおしているのです。またアニメ版でも、1期放送順では宇宙人と未来人と超能力者について話してやろうと、俺は思っているがラストですので、観客は、短編がこの話の後日談に過ぎなかった事を最終回で知ります。今期はそれに対して、秘密を語ってしまったが故に起きた事件を一応収めて新作分が終了しました。1期では不問に付されたまま、いつのまにかハルヒは日常に適応してしまったかのように見えていましたが、25話では本質的には終わっていなかった事が明確になりました。世界の秘密が明らかになるべきなのではなく、キョンが知った秘密をハルヒに語るべきなのです。原作を読まれている方なら既におわかりでしょう。どうすれば秘密をハルヒが信じるのかは消失で明らかになります、そしてキョンはそのキーワードをひとたび使うことにすらなるのです。

 もう一つ、映画が嘘っぱちだとハルヒが自覚したなら、宇宙人未来人超能力者も嘘っぱちにならないのか?ですが、これは「朝比奈ミクルの冒険」の撮影を通じてハルヒがしたいと思っていた事がわかれば明らかです。ただ(劇中)映画と(小説内の)現実の区別がつかなくなった、つまり漠然と映画と同じように、みくるちゃんが未来人で有希が宇宙人で古泉君が超能力者だったらいいなあと思っていただけではなく、ハルヒは長門に真実を語って欲しいという想いを映画作りに託したのです。*)たとえそうでなくても3人を宇宙人未来人超能力者にしたいと思っていたわけではありません。ですからこの物語は(略)嘘っぱちです(略)どっか似ていたとしても、それは他人の空似ですによってミクルビームやシャミセンの会話能力がファンタジーの剣士達といっしょに消滅した時、祝川商店街に変化が無かったのと同じ理由で宇宙人未来人超能力者がハルヒにとって秘密のまま残されたのです。

*)そして、その事こそが憂鬱Ⅵの閉鎖空間でキョンが話したことが真実である事の証だというのが、イツキとミクルのキスシーンに拘泥した理由です。(追記)