雑記 Diary2009/10
本放送中なのでネタバレレベルをくわしく記述する事にします。記述はアニメ版を優先します。引用に付けたタイムコードはyoutubeにupされた動画のものを見て付けていますが、あまり精度はありません。
- レベル0
- 「涼宮ハルヒの憂鬱」について全くしらない人向け。原作小説もDVDも前回放送も知らない人。
- レベル1
- 前回youtubeにupされている回まで視聴した人向け。
- レベル2
- 文章が書かれている時点でupされている回を視聴した人向け。
- レベル3
- 前回放送分(いわゆる一期:現在DVDになっている分)を視聴した人向け。「『七夕』って何?」
- レベル4
- 原作「憤慨」まで読んだ人向け「長門さんの小説っていいよね」
- レベル5
- 原作「分裂」まで読んだ人向け「『わたぁし』って誰?」
26話配信終了 27話配信開始
ネタバレ度2 26話まで見た人
26話「ライブアライブ」
えーと、先に白状しておくべきなのでしょう。古泉が演じている「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」もハルヒと長門が演ずる事になる「リンダリンダリンダ」も未見です。
さて、この「ライブアライブ」がどうスゴイのかは、もう語りつくされているといっていいと思いますので、そのへんは簡単に。
この作品は3層になっていて、一番上の相だけを見ても感動できるようになっています。
.1.
1層目というのはこうです。文化祭をSOS団員達は普段とは違い各々がクラスに戻って楽しんでいた。たまたまキョンが講堂で休んでいるとハルヒが飛び入りで歌い出してキョンはびっくり。すばらしい技術を発揮して歌うハルヒの姿が誇らしくもあったけれど、やがてハルヒは団からはなれていくのだろう予感がしてちょっと寂しい気分にもなった。けれどハルヒは来年は団で歌おうと言い出して、内心ほっとした気分でもあり複雑。やれやれだ。
1期14話の内で、最も短く感じるのがこの作品で、何回見ても「え?もう25分経ったの?」と感じてしまいます。
演奏シーンのクオリティーの高さは元より、雨音と会場のざわめきの中徐々に盛り上がってくる雰囲気とか、キョンがステージ上の気配にお
と言うと後ろを向いていたハルヒがうなずき、突如スティックにブラーがかかって演奏が始まったり、(00;08;56→00;09;58)視聴者が息を呑んでいるうちにどんどん盛り上がっていって、一瞬わたし
で音が切れて、もう一段上がったところで歓声がはいるタイミングがすばらしく(00;11;48ハルヒついてゆくよ
)何回みてもザワっとする名シーンです。
.2.
第2層は気持ちのすれ違いです。ラストの中庭でのキョンとハルヒの会話シーンについてです。ENOZ4人組の感謝の言葉を聴いて、ざわついた気持ちのまま寝転んだハルヒが、キョンと同じ空を見ながら今、自分はなにかをやってるって感じがした。
(00;20;58)と言うとキョンだけが振り向いて文芸部室(SOS団室)を見ます。ハルヒが自ら望んで作ったSOS団ではなにかをやってるって感じ
は得られなかった。もちろん第1層ではここでのキョンの台詞いつもはありがとうなんていわれそうも無い事ばっかりやってるもんな
(00;21;21)を文字通りの意味に取ってハルヒの成長と解釈する所なのですが、奇妙な事に「ライブアライブ」は「朝比奈ミクルの冒険」の上映と同日です。ハルヒがスクリーンの前で仁王立ちして、他の団員の渋い顔には目もくれずね、キョン
と二回言ったのは雨のライブの日の朝の事です。一期を見たばかりなら、1話「朝比奈ミクルの冒険」と12話「ライブアライブ」が同じ日のことだと後で気付いても、この振幅の大きさや不安定さこそがハルヒの魅力なのだ!と思ってしまいがちなのですが、果たしてそうなのでしょうか?
私たちは既にハルヒが感謝されなかった理由を知っています。ハルヒが真剣に"不思議"だけを求めているにもかかわらず、それをなによりキョンが隠蔽しているからです。それが最も先鋭的に現れたのが「溜息」なのであり、"ハルヒの成長"は、ハルヒと、ハルヒの力に真剣に向き合えないキョンの現実逃避ならぬ”超常逃避”が作り出したカモフラージュなのです。
以前、本雑記では怖いものなしに見えるハルヒの苦手について書いた事があります。重複しますが書いておきます。ハルヒはすばらしい強運と直観力、記憶力、運動能力を持ち、学年十位以内の成績をキープしていますが、文章(web site作成や日記掲載を嫌がる、憂鬱Ⅱで配布したビラの文章や「朝比奈ミクルの冒険」の台詞がヘン)、デザインや絵画(SOS団エンブレム)など、創造的な事はからっきし駄目な新米創造主(クリエイター)です。映画制作が彼女にとってどれだけ勇気を必要とした事なのか、想像するに余りあります。
そう考えると、この回の印象も変わってきます。
ハルヒそしたら、下駄箱のあたりで北高祭実行委員とあのバンドがステージに立つとか立たせないとかでもめてたの
(00;16;09)のカットは珍しくハルヒ視点で、なおかつ回想の挿入カットですが、もう一回見直してみると解るとおり、
国木田3の3のおでんも良かったね
(00;03;28)に始まる長いカットと同じ時刻で、カメラのポジションが違うだけです。後者のカットでは、画面の奥でENOZの中西が講堂に行こうとするのを実行委員が止めると、扉の向こうを頭にバニーの耳をつけたハルヒのシルエットが通りかかる所まで見えています。
鶴屋さんが模擬店の前で笑いがとまんないねーはっはっ
(00;04;38)と言うとENOZの岡島と財前が4人の前を走りぬけ、キョンが連絡通路で振り向いてまあ、せいぜい文化祭を楽しめ、普通にな
(00;07;23)と言うと、その後ろを長門とハルヒが駆け抜けます。ハルヒが出会った事件にキョンが全く気付いていないことが強調されます。それだけではありません。
古泉は演劇で主役、朝比奈さんはウェイトレス、長門は占い師と、映画で演じたのと同じ役柄を文化祭では見事に演じ、ハルヒまでもが自分が感情移入していたミクルと同じバニースーツで歌っています。「な~るほど、宇宙人は"知"という宇宙の住人である物静かな読書家の、未来人は一年先を知る上級生の、超能力者は他校という異界を知っている転校生の、そして神は憧れの同級生のアナロジーなんだな。で、主人公は現実を認めて大人になると。」一期を見たばかりの頃の私はこんなふうに思っていました。しかしそれは違います。「笹の葉ラプソディー」ではハルヒとキョンは超現実的な力で取り消せない関係にさせられてしまいますし、「溜息」ではキョンはハルヒを丸め込んだだけです。
ハルヒが力を失って現実の中に居場所を見つければ3大勢力の仕事は終わりますが、彼らはキョンとハルヒの上級生、元転校生、文芸部員ではいられなくなってしまいます。「現実ってなんてすばらしいんだろう!文芸部員は宇宙人より、上級生は未来人より、転校生は超能力者よりファンタスティック!!」という作品ではないのです。彼らにとっては高校生である事は既に演技であり、ハルヒの前で正体を暴かれる危険を冒すより高校生を演じているほうがずっと気楽だという事に過ぎません。なにより、演劇、ウェイトレス、占いというのは「溜息Ⅰ」(00;10;11)でハルヒが3人に訊いたことなのです。
そう考えるとラストの中庭でのシーンの意味も変わってきます。
ハルヒの作ったSOS団は古泉達の計略によって、ハルヒ自身を閉じ込める檻と化していた。ハルヒは看守(古泉、長門、朝比奈さん)の正体を暴こうとしたが失敗に終わった。看守たちは疲れ果てていた。ハルヒは檻に鍵がかかっていないのをいい事に檻の外に出たが、すぐに不安になり帰って来た。ふうやれやれ
.3.
さて、3層です。
なぜ演奏が始まる直前になって雨がふりだしたのでしょう。今までこの雑記で見てきたように、この作品では天候はハルヒのテンションと連動しています。「エンドレスエイト」16話以降の夕立も、「溜息」の、秋なのにセミが鳴くほどの晴れもハルヒの能力の発動でした。
ハルヒが歌った「god knows」も「LOST MY MUSIC」もハルヒの心情そのものです。映画制作にどんな想いをかけていたのか結局キョンは解ってはくれなかった。あの「憂鬱Ⅵ」でのキョンの言葉はやはり夢にすぎなかったのだろうか。そのハルヒ自身の気持ちを歌っているのです。
そりゃ挿入歌ってそういうもんだろう、そういう演出の都合ってもんでしょ、と思う人に考えて欲しい事があります。
ハルヒボーカルの榎本さんが本番前日に扁桃炎で入院、ギターの中西さんが当日学校でころんで、手首をくじいて
(00;16;15)などという偶然はなぜ起きたのでしょう。
それがハルヒパワー、または機関等の暗躍の結果だと考えるのは、いくらなんでも意地が悪いと思いはします。しかし、「憂鬱Ⅵ」エピローグを思い返すと考えが変わります。
古泉あなたには、感謝すべきなんでしょうね
(憂鬱Ⅵ00;20;36)主題歌「冒険でしょでしょ?」が流れ出し、古泉の台詞が聞こえるカットは今回、中庭の木の下に寝ているハルヒにキョンがよお
と声をかけるカットの次のカット(00;20;07)の逆ポジションで、ハルヒが寝ている木の向こう側の木のあたりから写したショットです。
今回、ハルヒが寝転がっている木陰でギターを弾き歌う女生徒二人。よく見ると、文化祭当日に参加できなかったENOZの榎本と中西です。ちなみにはるか奥の連絡通路の向こうのテーブルにはキョンと古泉が座っています。
古泉まあ、この世界が昨日の晩にできたばかりという可能性も否定できないわけですが
(憂鬱Ⅵ00;20;43)」のカットでは、古泉をナメて後ろのテーブルには榎本と中西が座っています。「憂鬱Ⅵ」のキョンには気が付きようも無い事ですが、私たちは彼女らが半年後どうなるかを知っています。二人はハルヒが作ったかもしれない世界で、自分たちの代わりにハルヒが歌う為の歌をここで作らされているのです。
「溜息」ではハルヒは長門の正体を知ろうとしましたが、キョンに断念させられてしまいました。長門はそれをキョンに語ったもののキョンは真剣に受け止めようとしませんでした。ハルヒの無意識はその想いを歌に託す場所を作り上げ、自分自身と長門をパートナーにいざないました。キョンの目の前で歌う二人は何を思ったのでしょう。そして、ENOZ4人の感謝の言葉になんかおちつかないのよ
(00;21;06)と思うハルヒは、自らの力で彼女たちの発表の場を奪ってしまった事に気付いてはいません。ハルヒの力は、恐らくはすさまじい強運や直観力、交渉力とも一体の物でしょう。ハルヒがその能力を手放すときは彼女の持っている物すべてを失うときなのです。「ライブアライブ」はハルヒが現実の素晴らしさを知った回でも、ハルヒの成長が描かれる回でもありません。
27話配信終了 28話も配信終了
ネタバレ度2 27話まで見た人
27話「射手座の日」
ここのところ感想うpが遅れています。溜息終了後テンションが落ちました。いかに「エンドレスエイト」「溜息」が情感たっぷりな作品だったかわかります。一期作品は引っかかりを感じる描写を無視して「いやあ青春って美しいなあ。こんな高校時代を送ってみたかったと思いませんか」という感想でもよかったのですが……視聴者はキョンと共犯関係だった訳です。
今回は頭身の短いキャラクターで描かれてはいますが、もう笑って見られる回ではなくなりました。
原作にはこんな描写もあります。
異世界人はどうした。まだ来てないのか
(略)いるなら、何らかの偶然なり必然によってこの部屋に呼ばれているでしょうから
来なくて幸いだ。違う世界なんぞに行きたくねえよ
(暴走p.101)
「射手座の日」が収められた「暴走」は5巻であり「消失」の次の巻です。原作既読者ならいやでも「消失」を連想せずにはいられないでしょう。とはいえ、今回再読するまで私も忘れていました。これは冒頭の囲碁をしながらの、アニメ版では(00;04;06)あたり、朝比奈さんがお茶を持ってくる前あたりの台詞です。その前のページには、こんな台詞もあります。
目先の石ころに注意するばかりでは、数歩進んだところにある溝にハマるという近未来が待ち受けていることにえてして気づかないものさ。
確かに。己の事はわからないものです。
お前に誉められても嬉しかねえよ。何か裏があるんじゃないかとかえって不安になるだけだ。(00;03;57)
のあとにはこんな台詞も
言っておくが、俺はゲームの駒じゃないんだからな。お前たちの思うとおりに動くと思ったら大間違いだ
(暴走p.98)
ぞっとしますね。
「サムデイ イン ザ レイン」は文庫未収録(脚本が雑誌掲載されたとの事)なので、原作ではこの短編が時系列では「消失」の直前という事になります。
アニメ版でこれらの台詞を省略したのは一期を「ハルヒの成長物語」にしたかったからでしょう。
「ライブアライブ」で、いままで他人には目もくれなかったハルヒが軽音楽部の演奏を手伝おうと思ったのは、確かにハルヒ(表層意識上での、高校生としての涼宮ハルヒ)にとっては成長だと言えます。しかしそう思えたのはハルヒ自身、キョンに長門達の正体を知りたいという願いを断念させられてしまったから。自分がそうだったからこそ、軽音楽部員達をそうさせたくないと思えたのです。
アニメ版は「いつもは目立たない登場人物の意外な活躍」という集団劇のセオリーにそっているように見えます。
一期放送順では、サムデイ→憂鬱Ⅳ→射手座→ライブアライブ の順ですので、超常ではカマドウマや朝倉を相手にすさまじい能力を示した長門も、日常では本を読んでいるだけに見えています。ですから、放送順に見ると初めての日常での活躍回に見えてしまうわけです。しかし、時系列順では「ライブアライブ」が先に来ます。1期放送順だと意味不明か、長門の読書家ぶりを見込んでと見えるハルヒの有希ならきっと即戦力になるわよ
(00;07;52)も、文化祭での活躍をハルヒが覚えていてのものなわけで、この回の見てくれは一期視聴者の為のトリックなのです。
次に長門に感情移入して観ていると、今度は「支社に飛ばされないようにと思って頑張ったのに、逆に上司から『君なら最果て支店を盛り上げてくれるだろう。抜擢だ』と言われてやぶへび」という、むかしのサラリーマンものみたいに見えてきます。しかも原作では後日談として「支店で頑張れば本社に戻してもらえるだろうと思っていたのに、支店長に残ってくれと懇願されてさらにトホホ」というような定番の描写まであります。(分裂p.36付近)
よく、某掲示板でこのような解釈が書き込まれると、キョンがお前の好きにしろ
(00;21;34)といってるじゃんか、長門の自由意志だろうという反論があるのですが、長門の性格と目的を理解しない発言だとしかいえません。
長門の目的はハルヒの観測
だけではなく、宇宙を有るべき姿へ進行させる
為にキョンに自分を選ばせるという重要な任務があります。その為に長門はあくまでもキョンに忠実で、キョンの意思に反する事はしません。しかし、キョンを守るためなら傷だらけになりながら同僚朝倉を消滅させてしまう程の忠実さをキョンは認める事はできません。それをすれば彼は「普通の高校生」ではなくなってしまうからです。
勿論、「エンドレスエイト」で15000回宇宙人のお面を買い続けたり、体育祭で瞬間移動したり映画でアドリブしたりした長門にとっては、キョンとハルヒに「普通の高校生」でいてもらっては困るのです。長門の言う宇宙
のあるべき姿
には、「普通の高校生」のキョンとハルヒはいないのでしょう。
そんな面倒な長門やハルヒに比べて、ぼーっと朝比奈さんを眺めているほうがずっと気楽でいられます。朝比奈さんは未来に帰ってしまう事が確定しているからです。長門は有能で誠実であればあるほど日常ではキョンに避けられてしまいます。
ちなみに某掲示板には「朝比奈さんって、なんで長門が苦手なの?なにかの伏線?」という書き込みも多いのですが、「朝比奈ミクルの冒険」のアドリブでわかるように、朝比奈さんと長門は本質的にはライバルです。しかも長門は能力使用に制限がある朝比奈さんと違って即座に能力を使えますし、朝比奈さんの得意分野である時間に関しても彼女を上回る能力を持っています。朝比奈さんにとっては、常に完全武装で歩いている言葉の通じにくい敵戦士なのですから、恐ろしいと思うのが当然です。よく二次創作では朝比奈さんが長門を苦手になった理由も描かれるようですが、原作に朝比奈さんが長門を恐れるようになった理由が描かれる兆候はありませんから、逆に長門が平気なキョンの異常さのほうを示す描写なのではないかと思います。*)
さて、ハルヒがこの娘をコンピュータ研に進呈するわ
(00;07;53)と言い出したのは、単にコンピ研部長とのハッタリ合戦に過ぎません。キョンは本気にはしていないのですが、嫌でも本気を出さねばならないのが長門です。しかし、長門なら平気なのにみくるちゃんのほうがいいわけ?
と言うとハルヒを止めたり、ハルヒどうしてもって言うんだったら、まああたしでもいいけどさ
(00;08;35)あたりのキョンとハルヒの目の演技も面白いのですが、注目するのは、ハルヒで、どっちがいいわけ
(00;08;30)の4人並んだカット。これは、直前まではキョンの位置の前に長門がいて、キョンは長門の後ろからハルヒの左手をつかんで止めるのですから、リアルに考えればこのカットでは長門、ハルヒ、朝比奈さんが並んで、長門の後ろにキョンになるはずなのですが、なぜか4人とも横に並んでいます。これは鶴屋邸で古泉がいつの間にか移動してキョンの右手をつかんで止めるシーン(溜息Ⅳ00;14;08)と同じ映像的誇張なのですが、席を立ってハルヒのほうに歩いてくるキョンの為にすかさず右に動いて場所を空ける長門を想像してしまうと、なんとも奇妙
な気分になります。ハルヒも溜息Ⅳの時の事を思い出したはず…と思ってプレイヤを2つ起動させてこのシーンと溜息Ⅳを並べると、う~ん、違和感あるなあ。1期と今期って、別のループに属するんじゃね?と思いたくなります。
溜息Ⅳは文化祭前最後の日曜で、この日は文化祭がどうにか無事に終わって数日が過ぎ
(00;03;12)ですから、この時点ではまだ鶴屋邸でキョンがハルヒに拳をふりあげてからまだ10日そこそこしか経っていないのですが、これも視聴者にとっては4週間前の事だし、頭身低めに描かれているのでデフォルメだとして納得しておきましょう。
ただ、長門なら傷ついても平気な顔をしているからほおっておくけれど、朝比奈さんは泣いてしまうのでハルヒを止めるというのは同じモチーフなわけです。
溜息の後なので、こっちがさらにインチキな魔法を使って対抗したら、結局は連中と同じになっちまうぜ
(00;17;38)」で長門のタイピングを困ったような顔で見ている朝比奈さんやオペレーティングの手を止めて長門を見ている古泉の表情に、各勢力の思惑が見えてきます。
ハルヒエネルギーを視線に込めて送ってあげたじゃないの、体がポカポカしてくるとか、発汗作用が促進されるとか、そんなのをあんたも感じたでしょ
いや、身の危険なら感じたが
(00;13;46)でハルヒの”エネルギー注入”を見ている長門とか
ひょっとして勝ちたいのか
と言ったキョンを見ている長門の瞳にキョンが映っている(00;18;05)カットなどは、一期では長門の慕情の表現に見えていたのですが、後者などは「エンドレスエイト」を600年耐え抜いたり「溜息」で手を傷だらけにしたり首を傾けて水撃弾をよけていたのを思い出すと、出撃準備を終えて命令を待つ寡黙な歴戦の戦士の表情にも見えます。長門にとっては遊びではないのですね。
そして、戦いが終わると少女の表情に戻ります。
長門だって、興味を惹かれるものが少なからずある、俺にはキーボードを叩くこいつの姿がなぜか楽しそうに見えた。
(00;21;11)」コンピ研部長の勧誘に、キョンをじっと見て言葉を待つ長門。長門はキョンに認めてもらえなければその存在理由は無意味なものになってしまいます。ところが、
おまえの好きにしろ。気が向いたときでも、お隣さんに行って、パソコンをいじらせてもらえばいい
(00;21;33)聞いた長門はうつむき、
長門そう、たまになら
(00;21;45)この長門の寂しさが見えているのは、ハルヒだけ。
コンピ研部長本当かい、いやあありがたい
だそうだ
ハルヒまあ、有希がいいならいいけど
(00;21;50)ハルヒのおどろきようと、キョンの顔を見ての表情の変化。これが「サムデイ イン ザ レイン」に繋がると思うと、なんともいえない気持ちになります。
また、「長門って、なんでキョンのことが好きなの?産まれたばかりだった3年前の七夕に初めて見た人間だったから、刷り込みなの?」というよくある問いですが、これも今期を通じてみると、”自分をキョンに選ばせるために、そのように思念体に設定されたから”という身もふたも無い答えが見えてきます。
さて、あと一回になりました。「消失」の映画公開も発表されたようです。早めに終わらせて作品製作に戻りたいものです。知り合いに「ヒマだろ」なんていわれるのも悲しすぎます。
この上映会も見逃してしまったし(泣)。ダウナーな時の実験映画上映会って、行くのに決意が必要なのよ。奥山先生の新作とレン・ライの2作品を見たかった。ところでFree
Radicalsってフリーラジカルじゃね?まあ、じゃあなんで「・」じゃなくて「*」なんだよという疑問は残りますが。
*)^これは朝比奈さん(小)が長門を苦手な理由ではあります。溜息Ⅰで長門にお茶を淹れてあげる朝比奈さんの表情からは、この時点で仲間としての意識が芽生えている事が伺えます。朝比奈さん(大)が消失の時点で長門が苦手だと言っているのは、また別の理由でしょう。(追記)