このサイトで用いている用語について glossary

このページは何?what is this page?

 コトバの意味があまり鮮明でない単語について、本欄執筆者はこんな意味で使っていますよ、という説明です。
 お付き合いくださると幸いです。

 こちらの説明文は書かれてから10年以上経ち、現状にそぐわない記述も多くなっています。
 書き直す予定ですが、2011年ごろまではこんなつもりで書いていたのだとご理解ください。

仕事

「仕事」という言葉は、現状では使いません。いわゆる”NGワード”だと思ってください。
私の周囲には、この言葉を違った意味に使う三種類の人が居る為です。
列挙しておきますと、

  • 生活の糧を得ている行為が「仕事」。何に努力を傾注していようが人生掛けていようが関係ない。むしろ「仕事」以上にそんな物を大事にするなんて、もってのほかだ!
  • 何をして収入を得ていようが貴方の勝手だし、なにを「仕事」と呼ぼうが知ったこっちゃ無い。俺の前に立つならキチンと作品を見せてみろ!それがお前の生き方なはずだ。
  • 何が生活の糧だろうと作品製作こそが君の「仕事」だろう。日和ってんじゃねえよ!それでもア ーティストか!
 いわゆるフツーの社会人の人はA.の人が多いような気がします。でも、自営の技術者が試作品を作ったり、開発の為に素材を弄りながら考える時間って、この用法でも不明確な部分はありますよね。
 映像作家のみなさんはB.のつもりで話すと通じやすいように思います。普段映像関係の仕事(Aの意味で)を持っている人が、「おまえ、どっちが仕事なんだよ!」みたいな混乱を起こさずに作品の話をするにはこの用法が合理的なのではないかと思ったりもします。(あくまでも私見です。ここ数年殆ど作家のみなさんにお会いする機会を得ませんので、これが常識だと主張する気もありません。ご教示いただければ幸いです。)
 数年前、ファインアートの人やグラフィックデザイナーの人にお会いする機会があり、そのときはC.のようなお話を伺ったと記憶します。
 少なくともC.の人はA.の人と話が通じるとも思えませんし、この言葉を使うだけでお互いがお互いを侮辱しているととられかねないと思います。せめて私自身が映像でメシが食えるようになれば話は少しは簡単になるのですが、現状はそうではありません。なので、今はこの言葉自体を封印しておきたいと考えます。

おたく(オタク、ヲタク、オタ、オタッキー*)

 おたくという言葉は生まれて以来20年以上経ち、かなり意味が変わってきてはいますが、いまだに罵倒語としてかなり便利に使えて、かつ言われた人が極めて反論しにくい、さらにどんな人を対象にしているのか読んで(聞いて)いる人が混乱しやすく、使っている本人も不明確になりやすいという特徴は変わっていません。しかも使ったほうは自分自身の事を棚に揚げられるというとても便利な言葉です。
 そうでないという人は、「俺はおたくと言われているが、実際そうではない、なぜなら」に続けて何か書いてみてください。
 それが誰に対しても説得力を持つと考えるのはかなりおめでたい人だと思いますし、私と、この件に対する問題意識を共有する事も無いでしょう、残念です。
 私はこの言葉をかなり気をつけて使っているつもりですが、それでもお怒りになられる方はいらっしゃるでしょう。
 話題にする元の記事中に使われていた場合や、「こんな風に冷酷な罵倒を浴びせる人もいる事だろうな」というような意味で使う場合を除いては、この言葉は使わない事にします。

ネタバレ

 いわゆるネタバレというのは悩ましい問題です。
 ネットが普及してから、数十年前の映像作品ですら、あらすじを先に読んでしまって後悔する事になっています。
 ネタバレを考慮すると感想を書くのがかなり不自由になるという困った問題が生じます。
 見た人にだけ解る文章というのもどうかと思いますが、当サイトでは以下の配慮をしています

  • 作品名を太字で示します。ネタバレが嫌な人は次の日付(年号-月-日)まで進んでください。windowsの場合、ctrl-F ”[西暦年]-”(Enter)します
  • ネタバレ考慮は鑑賞機会が比較的多い商業映像作品に限る事にします。実験映画のネタバレが気になる人は少ない物と思います。考慮する作品については、少しだけ記述をぼかして、鑑賞した人だけわかるような文にしています。
  • 新世紀エヴァンゲリオン」については、90年代のTVアニメ版を見ている人を対象に書いています
  • 涼宮ハルヒ」シリーズに関してはネタバレレベルが3つあるようです。.TVアニメ版だけ見た人/原作8巻「憤慨」まで読んだ人/原作9巻「分裂」まで読んだ人 の3つです。なのでそれぞれ記述しているレベルを書いておきます。

「アニメ」と「アニメーション」

 「アニメ」と「アニメーション」という言葉は使い分けています。「アニメ」は「所謂アニメ雑誌で取り上げられる、TVアニメを中心とした作品」を、「アニメーション」は「アニメ」を包含するアニメーション表現全般を意味する言葉とします。(「アニメーション表現」ってなんだ?なんて言わないでください(泣)。一応「いわゆるアニメーションという言葉で表される表現形式が含まれるなにか」だとしておきます)ですから、「アニメ」は「アニメーション」に包含されますし、文脈によっては映画はアニメーションに包含されます。(注意:逆ではありません!写真技術を用いたアニメーションが映画だという考え方です。)
 この使い分けに差別的なニュアンスを感じられる方もいらっしゃると思うのですが、私の考えはむしろ逆です。いわゆるアニメファンの人に海外作品の話題を振って、まるで何も聞いていなかったようにスルーされた事が何度あったことか…(涙)
 むしろ一般的な用法に合わせているとおもっているのですが、どうでしょうか。

SF

 私は「機動戦士ガンダム」をリアルタイムで見た世代ですし、例の高千穂遥氏のこれはSFではない発言を書店の店頭で立ち読みして気が遠くなった事を今も覚えてもいますので、SFという言葉を使う事の恐ろしさは身にしみています。上記の発言でぐぐると出てくる瀬名氏の記事などを拝見すると、あれはSFファンの人が言うように極一部の人の意見などではなく、四半世紀を経ても全く変わらないSFの本質ではないかと思います。むしろ「一部の意見」という言葉も「センスオブワンダー」みたいに説明不可能なSF用語ではないかという気が濃厚にしてきています。
 例えばワールドコンのメニューページには、以前は「そもそもSFとは」というような項目があったような気がしていまして、どんな文章が書かれるのかおおいに期待していたような気がするんですが今現在は無いように見えます。やっぱり「SFとは」は日本語にはできないものなんだなあと信ぜざるをえません。
 さて、当時の漫画好き、アニメ好きな人たちの多くがそうだったように、SF(っぽいもの)は私の憧れでもあり続けましたが、今までずっとSFは敬して遠ざける対象であり続けているわけで、いまだに「SF」という言葉は好きですがSFファンにはなれません。
 となるとSFファン方の大好きな上記の言葉を使った論争にも参加できない訳で(皮肉っぽく思われたらすみません。でもそうでなかったらこの四半世紀のトラウマは一体なんだったんだという事になっちゃいます)すから、そう言われたら引き下がるしかありません。
 とはいえ、何かこのへんのジャンルを意味する言葉が無いのもこまりものです。暫定的にこの「雑記」では、それっぽい言葉を使わざるをえない場合は代名詞を使って「あーゆう作品」「こーいった作品」で行きたいと思います。
 もちろん、「あーいった」小説/漫画/アニメはSFであるとは主張するわけではありませんし、「あーゆう」である事がSFである事の必要条件であるわけではないことも存じております。少なくとも猫や冷やし中華が「こーいった」に入るかどうかについては判断できませんし、「カードキャプターさくら」は多分今のところ「あーいった」にカテゴライズはいたしません。