作品歴 works
8mm film/9min/single track/Mar.1997
協力 :伏見 勝男
撮影協力:テクノシステム(株)
私たちの皮膚には、いつも外界=風景がはりついている。
りんごの皮を剥くように、24時間にわたってはがした、風景の記録。
タイトルは、「地球が同じ星に再び面(おもて)を向けるまでの時間」の意味。

*改造三脚を用いて、その位置でのすべての風景をこま撮りしています。
私は、天文ファンでした。肉眼ではすべての風景(全天)をみわたすことができない事が不満でした
私は、アニメーションが好きでした。視界がゆっくり移って行く駒撮りPANが大好きでしたが、残像で目が痛くなることが不満でした。
はじめて8mmカメラとであって、この二つを合体させる事を考えました。
真冬の山、公園、地下道で…… 撮影中に「測量ですか?」と訊ねられた事もありました。
8mm film/7min/single track/Jan.1999
タイトル:松本文晴
撮影協力:テクノシステム(株)
私たちは、四角い部屋に住み、世界のことなど知らないふりをして暮らしている。
しかしどんなに目をそむけても、夜は訪れる。
夜と、夜に至る時間を、不動の目がじっと見据えている。
待ち望んだ夜が、また来る。
タイトルは「日没後の空に輝く光の帯」の意。

*「恒星日」でさんざん回転したので、自分の代りに地球に回ってもらおうと考えました
誰でも知っている「HERIOGRAPHY」と違う切り口をめざして、重い機材を抱えて歩き回りました。
IFを卒業して、刺激が無くなったことと、巨大な先輩の影に怯えながらの撮影で、一番心理的には苦しかった作品です。
私の作品の中では一番撮影方法が複雑に見えるのではないかと思いますが、作図ができれば誰でも撮影できます。
DVvideo/6min/sound/Jan.2000
声 :水上富美子
撮影協力:テクノシステム(株)
太陽と死は直視できない
という。
人とかけ離れた機械の目、ヴィデオもまた、CCDの焼き付きによって、見つめ続ける事ができない。
目と胸の痛みをこらえて、太陽を、物陰から/水面の反射で/月を代りに/見つめ続ける。
私は、悲しい恋を磁気テープに焼き付けたのかもしれない。
タイトルは、太陽から放射されるプラズマ流の意。

*初めてのヴィデオ作品です。
前作の「太陽の反射光を見据える」をさらに追求しました。
説明書の「太陽に向けないでください」を逆手にとって、手持ちでどんどん駒撮りしました。
DVvideo/8min/Jan.2001
印のない物。
巨大な空洞の中心を、巡り続ける、眼球。
緩やかに、早く、見えない物を見つめながら。
タイトルは、地球に照らされて淡く光る、月の欠けた側の部分の意味

*アニメファン(「アニヲタ」なんて言ってはいけませんよ!)に、「どんなキャメラワークが好き?」と聞けば、間違い無く「回り込み」は上位にランクされるでしょう。
では何も無い空間を回り込んだら?
発想は単純ですし、画面を見てもあまり大変そうに見えないのですが、正確に中心をあわせることと、回転方向をそろえる為に工夫をしています。
超ローテク重手作業作品です。
DVvideo/5min/sound/Jan.2002
「星の数ほど…」という成語が死んでから、かなり経つ。
数え切れなかった物を、数える事すら、今は無意味になった。
今、都市には緑の輝線が満ちている。
そして、塔が、失われた。
幾度見上げても、励起した水銀原子の放つひかりのみ。
タイトルは、失った四肢に感じる痛み(幻肢痛)と見えないものを見てしまう事(幻視)から造語。

*「うん、カメラで見上げるとな、なぜだかわからないんだけど、この、体を回転させたくなってしまうんだ」
研究所での恩師かわなかのぶひろ先生の指導が、私の胸にひびき、私の三脚に、またしても怪しげな改造雲台が乗ることになりました。
陽光に輝く建物がカメラに嘗め回され、皇帝の行軍のごとく緩やかに回転します。
やがて、深い憂いに満ちたそれを突き刺す矢も、そして消え去る塔自身もまた、光の渦となるのです。
タイトルについて
上記の様に、タイトルは造語のつもりなのですが、複数の医療系サイトで「幻肢痛(phantom pain)」(「脳の中の幽霊」という本のタイトルはここから由来しています)のことを「幻視痛」と表記しています。
なんだかスーパーマーケットで「玉子」「キ瓜」「きゃ別」と表記してあるのを見たような気分です。
多分、「正確な表記ではないが業界用語として間違いではない」の類だと思うので、改題しなくてはならないのかなあ、と思っています。
DVvideo/6min30sec/sound/Jan.2003
光が太陽をはなれてから、肉眼に到達するまで9分12秒
震えながら待つ
肉眼は追従するのに、カメラは震えたままに記録する
風を受ける肉体が、風景を抽象にする。
タイトルは、観測者の運動によって生じる、光源の見かけの方向の、ずれ。

*私の作品は、光や運動をテーマにしたものが多いのですが、どうしても「写っている物はなにか」という事に影響されがちです。
いっそのこと、なにが写っているのか解らなければ、光や運動それ自体がはっきり見えるのではないか?
また、しらじらしく「観測」を装うことは止めにして、自身の肉体の運動そのものを作品にできないか、ということがテーマとなりました。
想いを込めながら、自動書記的に、実写しながら、なにが写っているのか解らないほど抽象的に。
タイトルについて
タイトルをwebで検索すると、!!超相対論(擬似科学)系のサイトがたくさんひっかかります。
トンデモさんは嫌いでは無いのですが、少なくとも入門用にはおすすめできません。
ご注意ください。
DVvideo/3min20sec/sound/Jan.2004
幾千億、幾兆、幾京の光電効果の、集積

*「光行差」と同じ被写体を用いて、違う方向性を目指しています
今回は動いて見えます。
しかも見るたびに動きが違ってみえる…という驚きの作品です
タイトルについて
タイトルはちょっと古い言葉です。現在では「光子(photon)」と言います
DVvideo/3min50sec/sound/Jan.2005

*実景をなるべく変えずにそのまま上映する といういままでのコンセプトとは変って、素朴ですが加工を行っています。
多分プロジェクタの方式や調整によって見栄えがおおきく異なるものになりそうです。
DVvideo/4min20sec/sound/Jan.2006
安易に使われ、捨てられ、省みられる事のないものたち。
これらの物たちにも輝きがあり、そこにしかない美がある。
タイトルは深夜の空、太陽の真反対側にほのかに輝く光の帯

*実景を使わない、初めての作品です。
撮影して初めて現れる色調で、画像を見たときは驚きました。