雑記 Diary2008/09

 今回も小ネタです

大人版朝比奈さんは眠り姫朝比奈さんの頬をぷにぷにとつっついて、「子供みたい」 笹の葉ラプソディー(退屈p.99)
朝比奈さん(大)が朝比奈さん(小)からTPDDを奪います
約束、ね。指切りする?」伸ばされた朝比奈さん(大)の小指に、俺は無意識のうちに指を絡めた。一分くらいそうしていただろうか。 笹の葉ラプソディー(退屈p.101)
TPDDをキョンに渡しています
柔らかくて暖かいものが俺の肩に乗っかって、それは朝比奈さん(大)の頭なのだったが、いったいこの行為にどのような意味が隠されているのか、(略)何かを伝えたいのだろうか。または俺から何か感じ取ろうとしているのか。目をつむって俺の肩に顔を寄せている朝比奈さん(大)、その唇が音もなく動く気配を感じる。声を出さずに彼女は確かに何かを言った。なんだったのだろう。 消失p.179
 TPDDを返してもらう(そのうち解りますという事だから、再調整しただけかも)描写です。作品の流れ通りに「ホントはね、ダイスキだったのよ。キョン君」じゃあないでしょうね。おそらく「緊急脱出プログラム」はキョンの脳内にあるTPDDを暗示によって動作させる物なのでしょう。朝比奈さん(大)の仕込みを長門は知っていたという訳です。

笹の葉ラプソディー消失も3大勢力(機関は、消失末尾のキョンが古泉を怪しむ描写で明確)の仕込みでした。ハルヒをこの時空に固定する為だったのか、ハルヒにSOS団という自らの入る檻を作らせ、キョンという強固な鍵をかけたのです。
しかし、鍵を開ける時がくる事もまた自明でした。

もうひとつ、次回はここからの予定です
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080818/168087/
>「涼宮ハルヒ」は退屈している女子高校生が空想の世界を作り上げる話
それなんて「赤毛のアン」?

 何をやらしてもそつなくこなしなにも不得意な事など無いように見えるハルヒですが、ものすごく苦手な事がいくつかあります。
…とかなんとか偉そうに続けようと思ってぐぐると、「12話(ライブアライブ)の歌は上手すぎる!ハルヒは現実に対してなにかやろうとするとヘボなのが正しいのに」みたいな意見が多数でがっくり。解らなかったのは本欄筆者ばかりですか。
ちなみに本欄筆者は、歌が天才的なのは野球やバトントワリングと同様で、何の問題も無いと考えます。

ハルヒの料理の腕はクリスマス鍋で身に染みていたが、いったいこいつの不得意科目は何だろう。 雪山症候群暴走)-未アニメ化部分

キョンの語りは本音ではないし、キョンに感情移入して読むと無感動状態になる(それ故、読んでいてトラウマを抉られるような描写はキョンと一緒に現実(?)逃避してしまって大事な伏線を読み飛ばしてしまう)事は書くまでも無いことなんですが、こんなところで照れ隠しする必要もないと思っていたのかまたも騙されました。確かに「科目」単位ではないんですね。しかし、なんでキョンは以下のようなことに気がつかないんだろう。

 映画制作。

俺の見たところハルヒに監督の才はない。 溜息p.215(未アニメ化部分)

朝比奈ミクルの冒険」では演出がひどい以前に撮影技術がひどく(と、いう風に執拗なまでにアニメーションで再現されています)、キョンの言い訳たっぷりなナレーションを聞くと「そう言うお前のカメラはどうなんだよ!」と言いたくなってしまうのですが、それはキョンだけでなく、ハルヒもやっぱり撮影は下手であることが「サムデイインザレイン」(アニメのみ)で示されています。撮影シーンの最後にこうするのよ。と彼女がバトンを見事に投げる動作とカメラを構えたまま叫んでフレームがガタついたりスタッフ(古泉)が映り込んだりする描写とが対比になっています。
文章作成もそうです。

「SOS団結団に伴う所信表明。
 わがSOS団はこの世の不思議を広く募集しています。過去に不思議な経験をしたことのある人、今現在とても不思議な現象や謎に直面している人、遠からず不思議な体験をする予定の人、そういう人がいたら我々に相談するとよいです。たちどころに解決に導きます。確実です。ただし普通の不思議さではダメです。我々が驚くまでに不思議なコトじゃないといけません。注意してください。メールアドレスは……」 憂鬱

 妙に味のある文(?)なので見逃してしまう所なのですが、成績学年ベスト10に名を連ねている退屈p.7)高校生の文章とも思えません。そもそも、なにも苦手な事が無いのになんで成績学年一位では無いのでしょう。
映画でも、最後まで脚本やコンテを作成しませんでした。

台詞がとてつもなく変だったり、アニメ版では挿入歌「恋のミクル伝説」の作詞作曲がハルヒという設定(未確認)らしいのですが、これもすさまじい。朝比奈ミクルの冒険」ラストに、「恋のミクル伝説」のピアノアレンジが流れるのですが、OPのハルヒがピアノを弾いているカットがこの曲を録音しているところだと想像するとなんとも言えない気持ちになります。(追記:上記の音楽はピアノではありませんでした)

デザイン

何かわけの解らない落書きをドローイングソフトが表示していた。円の中に酔っぱらったサナダムシがクダを巻いているような絵とも文字とも絵文字ともつかないものである。幼稚園児が描いたとしか思えない。 退屈 ミステリックサイン

ウェブデザイン

SOS団のウェブサイト立ち上げ。/ハルヒはそれがしたかったようだ。で、誰が作るんだ? そのウェブサイトやらを。/「あんた」 憂鬱

なんでも率先垂範のハルヒが自分では作りたくないと言います。
編集長一直線」でも、自分で文芸作品を作ろうとせず、何故か科学論文(?)を掲載します。朝比奈さんの童話への加筆部分も奇妙です。
ここらで己の身を省みて胸が痛くなってきたので止めておきます。そうだよな、なんかできる才能があればこんなところでウダウダしてねーよ。人のこといえねーよこん畜生(泣)。

閑話休題
「女子高校生が空想の世界を作り上げる話」。これほどハルヒに似合わない形容も無いでしょう。おそらく、創造的(クリエイティブ)な事が苦手な新米創造主(クリエイター)という設定なのではないかと思います。

おそらくは、苦手だからこそ、作り出すことの喜びも知らず、それを試みる事も無かった、それがキョンと出会い、SOS団を結成して・・・という事だと思います。
3年前の情報爆発/時間断層や、憂鬱事件でも、世界を作り変えたのは彼女の絶望でした。
しかし、下手にせよ楽しんで作り出した映画で、SOS団エンブレムで、会誌に掲載した論文で現実は変容してしまいました。

モノを作り出す喜びを知った彼女にとって、幸せとは何でしょう?

現実の中で才能を生かして人としてキョンと生きていく事でしょうか?それとも自らの能力を自覚して、強い力を振るう者としての覚悟を持って生きる事でしょうか

9巻までですっかり普通の高校生に見えるまでになったハルヒの「成長」とは実は欺瞞であって、実は多くの犠牲があってハルヒ達の日常はなりたっています。筆者には後者こそ作品の行くべき道に思えてなりません。

ところで、「編集長一直線」の執筆陣のうち、ただ一人だけ現実世界でのクリエイト能力を見せ付けた人がいます。鶴屋さんです。

SOS団のウェブサイト立ち上げ。/ハルヒはそれがしたかったようだ。で、誰が作るんだ? そのウェブサイトやらを。/「あんた」 特に秀逸だったのが、鶴屋さんの書いてきた冒険小説だ。『気の毒! 少年Nの悲劇』と題された短編ドタバタ小説は、読む者すべてを残らず笑い転げさせた。俺なんか笑いすぎて涙がでたくらいだ。この世にこんな面白い物語があったとは――なんて感じたのは久しぶりのことである。 (憤慨 編集長一直線)未アニメ化部分

ひょっとすると、分裂での百人一首⇔百人秀歌の思わせぶりなマエフリからして、ハルヒという神を完成させるエレメントの一つが鶴屋さんなのかもしれません。

以下驚愕予測

 とりあえず異世界人がまだ来てないってのもあるしさ。/「来るなら来てみやがれってんだ」(略)ただ、長門だけがほんの少し睫毛を動かしたような気はした。暴走 雪山症候群
異世界人については長門さんがご存知らしいです。
そして少なくとも光陽園ハルヒは他のSOS団員にとっては異世界人です。(キョンにとってはどうでしょうか?)
ミヨキチは佐々木と同じように、その登場が記述トリックによってぼかされています。佐々木と同様に重要人物だと信じても良いような気がします。
ひょっとするとミヨキチ(=「わたぁし」?)=過去 鶴屋さん=未来 佐々木=現実世界 のハルヒなのかもしれません。

 小ネタ

「チラシを刷って当日に校門前で撒くわけよ。うん、効果バツグン!」(略)「あんたがバニーをするって言うの?」/ なんでそうなる。お前が一人でやればいいだろ。俺ならその後ろでプラカード持って立っていてやるさ。 溜息p.243)未アニメ化部分
キョンはハルヒにフライヤー配布に付き合う事を約束したのに

あいつと二人で学内を歩き回るようなことになれば著しく世間体を損なう結果しか生まないように思われるので、俺の足は自然と別の方向を向いていた。ひょっとしたら未だに校門の前で宣伝ビラを配るバニーガールをやっているかもしれなかったが、さすがに誰かが止めただろう。いつかのように部室で一人ぷんすかしているかもしれない。頼む、今日くらいは別行動をさせてくれ。 ライブアライブ(動揺)-アニメ版にはこの台詞なし

約束を破ってしまいます。軽音楽部の3人(ENOZというバンド名はアニメ版オリジナルで、4人組)がお礼を言いに来ると、力ずくで、

「キョン、ちょっと一緒に来て」/なんで俺が、と反駁する間もなくカッターシャツの首根っこをつかんだハルヒは、バカ力で俺をひきずりながら教室の外に出た。三人の上級生の顔がほころぶ。/ ハルヒは俺を強引に隣に立たせておいて、 ライブアライブ動揺p.37)

まだ物足りなかったのでしょう

 意味はない。ただ何故か無性に腹ごなしの散歩をしたい気分だったのだ。
 しばらくブラブラと歩くままに進んでいると、どういうわけか俺の足は中庭に向いていた。部室棟へと続く渡り廊下から道を外れて、ところどころがハゲかけた芝生を歩く。すると偶然にも、ハルヒが寝ころんでいるところに出くわした。 ライブアライブ(動揺p.43)

と、つい横に立ってしまいます。 微妙ですが、「いろいろ探し回っただなんて恥ずかしくて言えないぜ」というわけでも「あいつの居場所なんてわかってるさ」なわけでもなさそうですからハルヒが能力で呼び寄せたと解釈して無理は無いと思います。

この、食事中に谷口がなにか言うとそれをきっかけに外に出てなぜかハルヒの居場所に直行してしまうという描写は「溜息」のこの映画は絶対成功させようと言うシークェンスと同じです。こちらは

後ろに手を伸ばして髪を触っている――と思ったら、はらりと黒髪がほどけた。理由は知らないがくくっていた後ろ髪を慌てて解いたらしい。 溜息p.216)未アニメ化部分

と、ポニーテールのおまじないで彼女の思いの強さを表現しています。

 アニメ版「ライブアライブ」ではこれらの描写はなく、キョンたちの視線の外で(キョンが振り向いて「せいぜい文化祭を楽しめ、普通にな」と言った瞬間、その後ろをハルヒと長門が走り去るという徹底ぶり…これもハルヒの能力?)ENOZのメンバーやハルヒたちが走り回り、体育館に入ると雨が降ってくるという流れです。視聴者は「ははぁんアニメ版のハルヒって雨女なんだな」と思った直後、あの演奏シークェンスに入ってアニメーションが動く事そのものに感動させられる訳です。原作には無い雨が降る描写で、ハルヒの能力を表現しています。
最後の「意味はない。ただ何故か無性に…」は一行目のみナレーションですが、あとは絵で表現、ハルヒとの会話シーンは陽が翳ったり、また差し込んだり、風が吹いたあと、ハルヒが芝を投げつけるカットで急にイマジナリーラインがひっくり返るので「あれれ、この風もハルヒの能力?」と印象に残るという流れですね。(08/09/13)

すこしだけ近況:もうそろそろ限界かも。 nayutaさんの「メルト」カバーを聴いたり(youtubeにあります)、憂鬱Ⅵを見てラスト近くのハルヒの悲鳴に近い台詞あんただって、つまんない世界にうんざりしてたんじゃないの…で機械的に総毛だって涙が出てくる。これらの作品自体は確かに素晴らしいんだけど、「機械的に」「会えなかった人にようやく逢えたかのように」ってのが問題。多分今の感性はグダグダだと思う。これを18症候群と名づけたい。つまり新しい物を嫌って「いよ!十八番!待ってました」と延々叫び続ける状況ですな。

 08/09/13,14の文章はいつもにまして酷いなあ 書き直す時間が無いのでご勘弁を
上記の「18症候群」についてはちょっと違うかもしれません。泣き声を聞くといてもたってもいられなくなるような生き物としてのプリミティブな反応なのかもしれません。あああもう時間が無い

 小ネタ

「今は説明できない。しかしいずれ理解を得ることもあるだろう。あなたの選択肢は二つある。わたしとともに宇宙をあるべき姿へと進行させるか、彼女に味方して未来の可能性を摘み取ることである」
 記憶によると、確か三割くらいはユキがアドリブで言っているセリフである。 朝比奈ミクルの冒険(動揺p75)

これを、ハルヒの能力で長門が重要な秘密を言わされてしまったのだと解釈するのは自然ですが、そう考えるとハルヒの「溜息」でのキスシーンへの拘泥が理解できます。

 ここでのハルヒの能力は映画内での描写が現実に影響を及ぼすという、メタレベルの取り違えです。ハルヒはミクル(みくる本人ではなく役のほう)を自分に深く感情移入し、イツキ(同じく役のほう)をキョンに見立てています。能力が発動してメタレベルの錯誤が起きると、有希(本人のほう)はキョンへの誰にも言わなかった任務についての秘密をイツキ(ハルヒにとってのキョン)に話してしまうのです。だからミクルとイツキのキスシーンの意味は当然ハルヒとキョンのそれであるわけなのですが、そのシーンを撮影しているのがキョンなのだと言う事すら忘れてしまい、そのせいで深刻な対立が発生すると、もう収まりがつかなくなってみくるちゃんはあたしのオモチャとまで言ってしまうわけです。

そう思って読むと、

「何が気に入らないって言うのよ! あんたは言われたことしてればいいの! あたしは団長で監督で……とにかく反抗は許さないからっ!」 溜息p196-未アニメ化部分

が味わい深いですね、「……」の部分、ハルヒが言えなかったのは、いくら言葉の勢いでも「あんたは所詮ヒラ団員じゃないの」なんて思ってもいない事は言えなかったという事でしょう。単体で読むと、上記のキスシーンやミクルビームなど、ダークを通り越して陰惨ですらある「溜息」の読後感が、「朝比奈ミクルの冒険」と読み比べる事で違ってきます。

 ところで未来の可能性を摘み取るは「陰謀」で言及があります(p.293)が、宇宙をあるべき姿へと進行させる消失世界だったのでしょうか?

 ちょっと(08/09/13)のライブアライブ関連に追記:ハルヒはアニメでは能力で雨を降らせる雨女(孤島症候群ライブアライブサムデイインザレイン)なのですが、原作では雨の描写は「孤島」のみで、「消失」まではキョンがやたらと暑い寒いと言っているので晴れ女なのでしょう。「雪山症候群」冒頭、クリスマス鍋パーティーで雪(有希を象徴する?)が降り出し、以降キョンが晴れて暑い寒いと愚痴らなくなるのが印象的です。
アニメ版で雨女になったのは、映像作品では歴史上の経緯から晴れがデフォルトになっているので、いくら晴れを描いても印象が弱いと判断しての事じゃないかと思います。

さらに追記:「分裂」でも雨はふっていました。まるで誰かが俺の行く手を阻もうとしているような、あるいは警告を発しているかのような(p.177)誰の仕業か解りやすい描写です。

 近況:やっぱり考えが甘かったというべきか、もう一日時間があるから再編集は何とかなるだろうという大甘な目論見は[NGワード]の事情により潰えてしまいました。名古屋では「光行差」はVer.1.05で上映する事になります。
うー、今更ながら永年作家活動を続けられている皆さんに尊敬の念を禁じえません。
しかし悔しくてなりません。所詮おまえはXXXX[禁則]なのよと言われているような気持ち。いや別に[NGワード]を蔑んでる訳じゃないですが(と書いておかないと誤解されかねない)。画廊の前を通るにつけ、ガラスの向こう側にあるアートの世界が遠くの事に思えます。くそ、必ず復帰してやるからな