雑記 Diary2011/06
ネタバレ無し
「少女革命ウテナ」で主人公 天上ウテナの声を演じられた川上とも子さんが亡くなられたとの事。
脳内でTV版最終回の川上さんの声君に会うため、ボクはここまで来たんだ。だから、君とボクの出会う、この世界を恐れないで
がBGM「少女革命-overture」と共にリピートしています。
youtubeに「光さす庭」(→Utena Sunlit Garden - Me playing it)がありました。*)
これで「世界を革命する力」は永遠に失われてしまったのでしょうか。
いいえ、それはおそらくは私たちの心の中に。
*)youtubeとニコニコ動画の「歌ってみた」「演奏してみた」動画に関しては、JASRACと包括契約しているとの事なので(C)上の問題は生じないようです。
雑記 Diary2011/10
かなり間が空いてしまいました。
訃報が二件。どう書こうか悩んでいるうちに10月も半ばになってしまいました。
5月に亡くなられた相原信洋先生。
実験映画・個人アニメーション・実験的アニメーションの分野では知らない人はいない巨匠でした。
TVアニメーター出身というのも異色ですが、そのTVアニメ業界からは先生の死を悼む声が聞こえてこないようなんですが、どうなんでしょう。TVアニメ業界的には、相原先生はとっくの昔に辞めて他の世界で活躍していた人、という認識なんでしょうか。
ゼロ年代にデビューされた方達には京都造形大の先生という感覚なのでしょうが、それ以前は作品製作だけでなく、精力的な上映活動と、ご自身が中心になったワークショップによってこの分野の認知の拡大と後続の育成に力を注がれていました。個人アニメの伝道師としても最大級の活動をされた方だと思います。
多くの人が相原先生の活動によって、個人でもアニメーション制作ができる事を知り、そして自己表現としてのアニメーションの魅力にとりつかれた事でしょう。
私もその一人です。私がIF研究所に通っていた年の講義でも、先生はご自分の上映会に来た事のある者はいるかと問われました。私が20年ほど前に駅前の某会場で上映会を拝見した旨申し上げると、「ああ、ブラザービルね。行った行った……ところでさ、君が今ここ(映像研究所)に来ている事には、その上映会を見た事の影響はあるかい?」と仰られました。私が、もしその上映会に行かなかったならば、今ここには居ないでしょうと答えると、先生は満足そうに頷かれました。
その日の講義で、もう一つ覚えているお言葉を紹介します。たしかこんなお話でした。
ワークショップの打ち上げで「私は一生アニメーションを作りま~すっ!」なんて言う奴がいる。
言葉が軽いんだよ!
悔しかったら十年間作り続けてみろ!
この言葉を聞いていた人の多くが、今はもう制作を続けていないでしょう。前回の作品が卒業から10年目だった私も、悔しかったら十年
の重さを感じています。
もう一人は漫画家の和田慎二先生。
(→「スケバン刑事」原作の漫画家、和田慎二さん死去 - MSN産経ニュース)う~ん。一般的には「スケバン刑事」のひとという認識なのか。
少女漫画界では70年代に革命ともいうべき激変が起き、その巨大な影響が現在の漫画及びアニメ界、そしてファンダムを形成しているという事は書くまでも無いでしょう。知らない人のために、すこし次回触れます。
その革命の中心に居たのが「24年組」なのですが、もう一つ、当時の少女漫画界には異色の作家たちが居ました。それが和田慎二を中心とする男性作家たちで、24年組よりも少年漫画に近い表現で「革命」を牽引しました。和田慎二作品は、「スケバン刑事」などのシャープなサスペンスや「ピグマリオ」などのメルヘン味のあるファンタジー(むしろファンタジーっぽいメルヘンかも)とともに、温かみのあるコメディーなど、いずれもそれまでの少女漫画にはなかった…わけではないのでしょうが、強いストーリーテリングと人間性への信頼に満ちた作品群で読者を魅了しました。
また、少年漫画に近いというのは、少年漫画なら読めるけれど少女漫画は初めて、という人にとって読みやすいということなので、少女漫画が凄いと聞いて読み始めた多くの漫画好きにとって、入り口として機能していたと思います。
氏の作品についてはほとんど単行本の持ち合わせも無いため、この記事も記憶のみに頼って書いています。本棚かダンボール箱の奥に、最初に買った氏の単行本「銀色の髪の亜里沙」(モンテ・クリスト伯の翻案作品)があるはずです。
氏の作品を思い出すと、今も胸の中を青い風が吹きぬけるような気持ちになります。
え?アップルのえらいひとについては書かないのかって?最初にPC-8801を買ったときはApple][に、PC-9801DXを買った時はマッキントッシュに憧れていたんだけど、高価で手が届かなかったんですよ。常にapple製品は遠くにあって眺めるものでした。