台詞の記述はアニメ版を優先します。引用に付けたタイムコードはyoutubeにupされた動画のものを見て付けていますが、あまり精度はありません。
- レベル0
- 「涼宮ハルヒの憂鬱」について全くしらない人でもOK。原作小説もDVDも前回放送も知らない人。
- レベル1
- 1期放映分を視聴した人向け。
- レベル2
- 「あらためて」放送分、「消失」を視聴した人向け。
- レベル3
- 原作「憤慨」まで読んだ人向け「長門さんの小説っていいよね」
- レベル4
- 原作「分裂」まで読んだ人向け「『わたぁし』って誰?」
- レベル5
- 原作「驚愕」先行掲載分まで読んだ人。
雑記 Diary2011/04
ネタバレなし
twitter(→こちら)(→こちら)って、楽しいんでしょうか?
なんで私がやっていないのかというと、なんか即答できないといけないメディアっぽいからです。議論が得意な人はいいかもね。
独り言ですが、優秀な敵より無能な味方のほうが厄介だと言います。閣下はその点をお考えになったほうがよいような気がします。
「魔法少女まどか☆マギカ」10話。ネタバレに配慮しておりません
この作品は動画配信サイトで見ていますが、ここのところCRTモニタが急激に劣化してきまして、やたら緑がかって表示されます。マミのリボンなど、黄色いものがみんな黄緑に見えるのはともかく、人物の肌の影色はみんな緑がかります(涙)。色彩について書くことがあるかと思いますが、そういう視聴環境でかかれた物であるためあまりあてにはなりません。ご容赦を。
自主規制の話の前に10話についてすこし。
10話は放送一時休止の為か、ニコニコ動画では先行放送されたものを再修正し、ニコニコでは345MBもの高画質で配信されました。
おそらくは10話の内容は、12話まで見てからではまた意味が変わってくるのではないのかと想像します。詳しくはまたその時に書かせていただきます。まだ10話が放送されていない局もあるようなのですが、いつものようにネタバレ考慮無しで行きます。
9話までと共通する台詞が多く配されていて、ループしても同じ人物、同じ運命である事が強調されます。
冒頭の自己紹介。まどかとほむらの台詞が逆。9話までは、第二ループでの彼女に守られる私で無く、
という願いがかなえられた結果なのでしょう。
マミのマンション。2話での会話シーンは薄暗く、不気味な光景だったが、今回は明るくなっており、2話でのまどかの逡巡と魔法少女=魔女という真実の暗示が、ほむらの憧れへと転換しています。
ワルプルギスの夜のシーン。この動画をもう10回以上見ていますが、見るたびに涙が出ます。何回見ても
まどかだからだよ。もう水素爆発を止められるのは、私だけしかいないから
ほむら無理よ!一人だけであんなのに勝てっこない。鹿目さんまで、死んじゃうよ
まどかそれでも、私は消防隊員だから。みんなの事、守らなけりゃいけないから
と脳内で置き換えられてしまいます。
誰にも認められない孤独な戦いが、崇高な使命へと転換します。
ドラマが現実と溶け合う瞬間。時代と併走することを許された作品だけの特権です。偶然にこの回だけなのか、そうではないのか、今後の展開ですべてが決まるでしょう。ここまできたのだから、過度な自主規制でつまらない作品にはなってほしくありません。
この後の契約シーン、まどかの遺体に取りすがって泣くほむら。何に見えるかは書くまでもありません。崩れたコンクリートの破片の中、澄んだ水と雲間から差し掛かる陽光、そしてやさしく降りかかる雨が、未曾有の災害のなか人びとを救おうとした者の命を、せめて安らかな眠りであれと語りかけているようです。
ほむら私は、鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私でじゃなくて、彼女を守る私になりたい!
どれだけ多くの人びとが、あの日以前に帰れればと願ったことでしょう。しかし悪魔は微笑みます。
恐ろしいのは第三ループ。
ほむら約束するわ。絶対にあなたを救ってみせる。何度繰り返す事になっても、必ずあなたを守ってみせる!
何度繰り返す事になっても
のカットは水面に映ったほむら。水面を覆う黒い波紋はほむらの涙。違和感のあるカットですが、直前の描写から、このカットの台詞のやり取りだけからは見えなかった意味が解ります。
漆黒に染まったソウルジェム。世界を破壊して全部無かった事に
するというほむらの言葉。それは今までの戦いの意味もすべて失わせます。絶望。そのほむらのソウルジェムを浄化したまどかのソウルジェムはまだ黒く濁ったままです。
馬鹿な私を助けて
というまどかの言葉は、まどか自身のどうしようもない絶望が言わせているのです。
さやかを、そして命を救ってくれたまどかまで手にかけてしまったほむらは、孤独な戦いに身を投じますが、まどかを救う事はできません。
キュゥべえ遅かれ早かれ、結末は一緒だよ
私は永遠の迷路に閉じ込められてもかまわない
とまで言うほむら。もはや望んだ未来はありません。まどかを契約させない道を見つけ出せても、その先にはほむらの孤独な死が待っているだけなのです。
ファウストに、その悪魔との契約時の望みだった言葉時よ止まれ。おまえはいかにも美しい
と言わせたのは、めしいた(なぜか変換できません)彼自身の夢想でした。地獄へと連れ出されようとする彼の魂を救い出すのは、彼が死なせてしまった村娘グレートヒェンの魂なのですが、だれがほむらの心を救い出すのでしょうか。
以前紹介した「超早乙女研究所」様ですが、被災されたとの事。(→超早乙女研究所:安否報告用)
>無慈悲で理不尽な運命には逆らえなくとも、抗う気持ちは捨てないでください。まどマギもゲッターロボもそういう心を教えてくれる素晴らしい作品だと思います。とにかく頑張れ!
とのこと。
3.11後に描かれためがねネタまど☆マギ 11話捏造まど☆マギ 10話トレスもギリギリと過酷な運命が押し寄せてきます。以前の作品とラインは変わりませんが、より研ぎ澄まされた感じです。上記リンク先ページ上のほうの「作品一覧」「<<めがねネタ」リンクからどうぞ。
このように思われている被災者の方がいらっしゃるからと言って、誰でもまどか☆マギカ
を見るべきだなどとは思いません。ただし、「不謹慎厨」に言われるまま、当たり障りの無い作品ばかりになってしまう事には大いに危惧、というより反対させていただきます。
ACのCMばかりのあのころ、TVは苦痛ではありませんでしたか?悲しいとき、苦しいとき、悲しい曲や悲劇が苦しみを癒す事が信じられぬ人を、私は哀れに思います。ましてや悲しみに打ちひしがれても生きる事を諦めない人の劇を、不穏だからと言って止めてしまう事があってよいはずがありません。そんな動きには抵抗を止めるつもりもありません。
「魔法少女まどか☆マギカ」10話まで見た人向け
まどか☆マギカ10話/11話/12話放送。11話/12話配信開始。
既に10回以上見ています。消化に時間がかかりそうです。
11話の感想の前に、すこし「自主規制」の話を。
マミのバトルには奇妙な所があります。
1話では、まどかとさやかに髭の使い魔が迫り、はさみと茨で二人を閉じ込めようとします。すると、二人の周りに鎖が円を描くように落ち、障壁をつくって使い魔を撃退します。そしてあぶなかったわね、でももう大丈夫
と言いながらソウルジェムを持ったマミが現われます。マミの袖から鎖が伸びているので、鎖の円陣はマミの魔法である事がわかります。鎖は使い魔の作るいばらと対称になっています。*)
ところが、2話ではこの対応関係が崩れてしまいます。マミが、飛び降り自殺を図った女性を救うのはリボンのネットです。茨は結界の隅や魔女の居室にあるだけですし、がんばって、もうすぐ結界の最深部だ
の次、髭の使い魔が蠢くと赤い靴が舞い上がるカットこそ邪悪(使い魔の足元になにがあるのか想像してくれという間接描写)ですが、それ以外では髭の使い魔は薔薇の世話をしているだけです。
魔女とのバトルでは、マミの足元に止まった使い魔たちが一列になってマミの周りを飛ぶと黒い触手のようなものに変化し、さして抵抗しないままマミは吊り上げられてしまいます。
マミが魔女の庭の地面を撃つと弾痕から黄色く細いものが生えて薔薇の花を散らし、それを見て慌てた薔薇園の魔女を拘束します。
どう考えてもおかしいだろJK。これらの画面が触手と黄色いヒモでなく、いばらのつると鎖だったらすげーカッコいいとおもいませんか? マミのとどめ攻撃では黄色いマミのリボンが銃に変化するので、黄色いヒモ状のものはリボンだと思わせる演出なのでしょうが奇妙です。リボンから変化せずに魔力を発揮したら鎖の意味ないじゃん。
3話では、マミとまどかを追って現れたほむらに向かって手をかざすとソウルジェムからオレンジ色の極太のリボンが伸び、ほむらがリボンでラッピングされてしまいます。リボンにはなぜか鎖の模様が描かれています。なんか変ですね。
魔女に放ったティロ・フィナーレの弾丸も赤いリボンになってお菓子の魔女を締め上げます。
これらは自主規制であると考えます。おそらくは1話完成後に鋏と鎖はヤバイから自粛しろ、マミが縛り付けられて苦しむ描写などイカンという事になったのではないかと思います。ですから2.3話ではリボンはあくまでも鎖であったとして感想を書いています。(→2011-01-27)
この作品のダメージ描写は、怪我をした部分の膚が赤く塗られる事で表現されています。ぬいぐるみが破れて赤いパンヤが見えているように見えてしまいます。まるでリアルではないのですが、作品の特性上鉛筆でタッチをつけて薄汚れたように見せたり、痛めた部位を手で押さえる等して台詞だけで痛そうに演技する事では表現しきれない事は明白です。*2)
5話のさやかと杏子のバトルは、プリキュアの戦闘シーンのようにシャープに演出されていますので、ついその激しさを見落としてしまうのですが、まどかのどうして、ねえどうして?魔女じゃないのに。どうして味方同士で戦わなきゃならないの?
のカットで、さやかと杏子がoffになると、背後に聞こえるさやかの声と効果音で激しいバトルである事がわかります。さらに6話のさやかのケンカねえ、夕べのあれが、まどかにはただのケンカに見えたの?あれはね、正真正銘殺し合いだったよ
と、7話アバンの例えば、お腹に槍が刺さった場合、肉体の痛覚がどれだけの刺激を受けるかって言うとね
これが本来の痛みだよ。ただの一発でも、動けやしないだろ
に回想が挿入されることで、実際はどうだったのかが明かされます。
杏子の武器は、巨大な刃がついた七節棍という奇妙なものです。コミカライズ版2巻の表紙絵のように十字架形のシルエットをした槍のほうが聖職者の娘というキャラクターにマッチしているように思えます。「ハートキャッチプリキュア」でクモジャキーが剣を剣として使わずに、振り回して衝撃波で攻撃していたのと同じような理由でしょう。
え~、さやかの剣やほむらの銃はどうなのよ?という気もしますが、剣や銃は法律で規制されているわけで、模造品すら持ち歩けませんが、槍ならば棒に刃を付ければ簡単に作れてしまうという理由かと思います。また、魔法少女の衣装に鞘やホルスターが無いのも、まどかの弓が最初のデザインのようなリアルなもので無いのも同じような理由だと思います。
これらは、魔法少女が何と戦っているのかという、作品の根幹にかかわる問題だと考えますし、8話の「影の魔女」の描写や12話のラストとも繋がってきています。
事後ですがこの件とも関係があるのでしょう。(→視聴者の意見/BPO)どの文章がそれにあたるのかはお解かりでしょう。ただ【視聴者意見への反論・同意】の節は適切に思います。
よく知られているように海外では時代劇は残虐だといわれます。また、逆にハリウッド映画を私が見ても、「日本人はこうは表現しねえだろ、相手がいくら悪役だからってカワイソ」と思うような描写があります。たまたま見たのが作品を享受していない層だったり、文化のちがいがあったりしてファンで無い人からはひどく奇妙に見えるもの、というのはいくらでもあります。
そもそも例の条例で、小説は無関係だと平然と答弁されていたのは、小説は楽しむためにそれなりの教養(単に「訓練」といってもいいでしょう)が必要だからという理由でしょう。その点については漫画やアニメでも同様である事は散々書いてきました。アニメ/漫画ファンが意識していないだけで、実際には日本のアニメや漫画はかなり難解なのです。
*)^ ちなみにこの改装中フロアにはあちこちに鎖が見えます。キュゥべえが落ちてきて以降、鎖が強調されていますので、この鎖ももともとこのフロアにあったものではなくマミの魔法なのでしょう。鎖の罠を張って魔女を待ち伏せし、ついでに有望新人をゲットする為の大芝居、と考えられます。というより、そう考えないと鎖が揺れる演出が過剰ですし、そう考えたほうがラストのほむらとマミの会話が理解できます。「うちが目をつけた新人の為にいろいろやってるってのに、よこどりなんてずるくない?魔女なら譲ってあげてもいいからちょっかいださないでよ」という意味合いでしょう。
*2)^ この、ダメージ描写がぬいぐるみに見えてしまうという点は、1話で怪我をしたキュゥべえを見たさやかがぬいぐるみじゃないよね
とセルフつっこみし、9話および11話のまどかの寝室でのキュゥべえ解説シーンで、キュゥべえがぬいぐるみと並ぶ事でぬいぐるみにみえてしまうという欠点を逆に活かす演出をしている事は、既に9話の感想でのべました。(→2011-03-29)
さらにさやかのダメージに関しては8話と9話で墨塗りにしてしまう魔女を登場させて流血を描かない事で自主規制の原因を暗示させています。しかも、その影絵ヴィジュアルのマエフリとして8話前半の棒人形芝居があるという周到さです。これも以前指摘しました。(→2011-03-11、とくに脚注1)