雑記 Diary2008/05

(この部分にも文章がありましたが間違って消去してしまいました。多分作品製作ができないとか映像作品に触れられないとかの愚痴が書いてあったと思います。)
 そういうわけで*)、疲れ切った体に鞭打って「涼宮ハルヒの憂鬱」をいまどき観てました。
 手持ちカメラ(「朝比奈ミクルの冒険」など)固定カメラ(サムデイ イン ザ レイン)とリアルなぶれ(ライブアライブ)がかっこいいですね。ずっと「冒険でしょでしょ」が脳内でリピート再生されてます。霊力の象徴としての髪を封印する代わりに、現世で生きる為の道具(腕章)を得る巫女*3)、ですか
感想、というかなんというか、才能を発揮して生きてゆく為には何が必要なんだろう、等と考えてました。
表現しなければ生きてゆけない、表現せずには生きてゆけないというのも大切なファクターなのだけれども、プラトーに陥ってつまんないっ!時に周りがどういう環境であるかってのも大きいんじゃないかと思うのですよね。

 なんだか私と同じ名前の人がライトノベルの主人公にいるみたいです(「商品の説明」を参照)

*)どういうわけで「そういうわけ」なのかと言うと、拙作がザオ・ウーキーとかオラファー・エリアソン*2)の影響下にある事以上に、ほとんどの作品のアイデアソースが宮崎駿の絵コンテ集だったり、「恒星日」の元ネタが「新世紀エヴァンゲリオン」のOPだったりするのも事実であるわけです。
*2)オラファー・エリアソンの「カメラオブスクラ」って、IKIFの同名作品と同じネタなんじゃないかな。
*3)作品中に明示されてはいないけれど、「いじめられっ子が居場所をみつける物語」に見えて仕方がないんだよな、ちょっと声をかけてくれただけの人に「認められた!」と思って無理難題言っちゃったり、自分が特別な存在でなければ納得できないと思い込んだりするあたり。(

 かなり疲労がたまっています
数行の文章をまとめる力も喪失していますので、乱文失礼させていただきます
ハルヒの原作を読んでしまいました。作品も作らんと何やってるんだ俺は
ところが、3巻目に入ってやっと主人公の(小説はキョンが明確に主人公)モノローグと台詞を区別していない事に 気がついたり、アニメを見返してそれを忠実に映像化していることに始めて気がついたりしています。
たまたまググッてみつけた掲示板の記述で、キョンが振り向いてハルヒを見た瞬間に世界が色づくという描写に気づきました(恥)
しかしひどい。ホントならここに自己解放やらモラトリアムやら書く予定でしたが、今回はあきまへん。ご容赦

 某所で「lain」発見。懐かしいなと思いつつ観始めると、まず最初のかん高い笑いに大ダメージ
気を取り直して、アナログでも再撮影で手持ちっぽくなるんですねーなどと心にフィルターをかけて立ち向かうも、少女が落ちるところでがまんしきれずダウン
10分も持ちませんでした
もうだめか!もうだめなのか!!
こんなに脆弱で作品など作れるのか!!

雑記 Diary2008/06

 上記の件は反省。鑑賞に覚悟が必要な物を安易に見てどうのこうの言うべきじゃないですね。
lainを見るのは二回目なんですが、前回はエヴァンゲリオンを24話まで見た後で、当時25.26話がまだレンタルされてなくて代わりになにか無いかと思って見た事を覚えています。だから覚悟完了モードだったわけですね。
しかし、今の私はTVのバラエティー番組さえキツイと感じているのでかなり苦しいのです。
実写だとドラマでもきついと思うことがあります。なにがキツイのかはよくわからないけれど、無言のシーンだと耐えられて、台詞の多い芝居になるときつく、前の台詞に台詞がかぶさるのはさらにキツイと感じるようです。
でもTVアニメならすこしは耐えられるってのは何故なんだろう?
 ハルヒネタはまだまだ引っ張る予定です。「涼宮ハルヒの憤慨」収録の小説内小説「無題1/無題2/無題3」がイイですね。無論、これがイイと感じるのも、本編が誰も本音を明かさないまま、主人公すら自分の思いに触れたくないままドライに展開しているからこそ、僅かな内面描写に乗せられてしまう訳なんですが。
今川版鉄人も見たいっす

 悲惨な事件が起きる度に繰り返される言論
「他人を巻き込むな(死にたいなら一人で死ね)」「世の中が/生きるのが、嫌になったなんて珍しくも無い」
-世界には悲惨が満ち溢れている-
そう言いたくなる気持ちも解らないでもない。
だが「俺だって絶望しているんだ」では何の抑止力にもならないし、生き残った者の癒しにもならない
精々お茶の間でちょっとだけ嫌な気持ちになった人にほんの少しの共感が得られるだけだ。
この事を、「まあ、よくできているってこった。お茶の間に流すには適正な言論だな」と言えるほど私はマスコミやweb言論に絶望してもいない
 お得意の分析もどきも顔を出しつつある。
「ナイフはDQ等に頻繁に登場し…」というような『DHMOの恐怖*)』議論だ。
「犯罪者のほとんどすべてが犯行前2時間以内にDHMOを摂取している!悪魔の化学物質DHMOを規制せよ!」というわけ。
まともなひとならDQに頻繁に登場するようなアイテム=(ほぼ)誰でも知っている事……とコンシューマー向けゲーム機を持っていない私ですら考えるんだが、そう考えない人が世の中には沢山いるらしい。
この際だと魔女狩りを始めるような手合いのペンは汚らわしい。所詮ヲタの命だと思っているのか、死者の顔に唾を吐きかけるのはいい加減にしろ

*)DHMOとは水の事。詳しくは「DHMOの恐怖」で検索してください。

 ちょっとだけ覚悟完了しつつハルヒネタを引っ張ります
08/04/28の時点で、書こうとしたけれども書かなかった感想を書いておきます。
一言で言うと「私の中高生時代は、幸せだったのかもしれない」です。
 残念ながら後ろの席に東中学出身の美しい同級生はいませんでした。
しかし、こんな所へくるべきではなかったと言いながら、無いなら作ればいいとばかりに、一念発起して漫研を作ってしまったSさん、絶対プロ漫画家になると言い続け、卒業後に夢をかなえたNさん、漫画なんか描いたことないよとか言いながら、キャラクタ造形、というより似顔にすさまじい才能を発揮したHさん、農業用ビニールをセル代わりに使って何の情報も無い中8mm自主アニメを作り上げたIさんなど、才能ある人たちに囲まれて、絵も描けないのに名前だけのマネージャをしていたあの頃の事を思い出しました。(4人は残念ながらというべきか男です)
同好会なので部室が無い、よって文芸部をアジト代わりに、というのも懐かしい思い出で、誇張でもギャグでもない嘘のようなホントの話でした。

 うーん、手短に済ませ過ぎてしまった。
ついでにすこし私語りをしますと、私は「うつ 診断」などで検索すると表示されるような鬱病の診断サイトでは大概「中等度の抑うつ」だの「なぜこんなになるまでほおっておいたのですか!早く受診を」などのスコアを出してしまいます。
去年の夏~秋頃はかなり焦燥感や動悸がひどかったのですが、いまとスコアは余り変わらないのが不思議です。
まあそれはさておき、そんな私さえ「シアワセだったのかも」と思ってしまうというのは素晴らしい影響力なのでしょう。アニメ版を製作された方々に敬意を表します。
しかし、これは原作が表現している物ともちょっと違うはずです。
TVアニメ版の範囲ではマクガフィン(使い慣れない映画用語を使うもんじゃないですね。要するに「ルウム戦役」「フラナガン機関」です)になっている何があったのかはわからないけれど、何かがあったらしい(修正)「七夕」はどうなの?とか、世界全体と自分自身すら書き換えながら、さらに「砂嵐のような心」で3年を過ごさざるを得なかったハルヒの3年前の絶望って、ホントに野球場事件なの?とか思って原作を読むと、それとは違った世界が待ち構えているわけです。
上記のような「シアワセかも」という感覚は、登場人物の気持ちがなかなか見えてこない、ちょっとしたすれ違いも描かないという原作の特質と、うまく原作からエピソードを選び出してTV版をハルヒの成長物語に仕上げた事が、嫌な事は先に忘れるという人間の記憶の造りと一致しているからではないかと思います。
もうすこし前なら昔の思い出とともに嫌な記憶も蘇ってきたはずなんですが、記憶を蒸留してくれたTVアニメ版のスタッフに感謝いたします。
いかん!これでは私が一番嫌いだったサザエさんとおなじだという事になってしまうではないか!多分かなりいろいろ間違っているんだろうけれど仮にupしておきます。

 上記についてご注意を
私はどうやら典型的な大うつとは違うようです。なので職場で失敗したり失恋したりして落ち込んでいる上の文を読んだ人が、「涼宮ハルヒの憂鬱」を見てみましょうなどと思われても、責任の取りようがありませんし、推奨もしかねます。
実際私でもハルヒのうるさい!はキツイですし、コンピ研を襲撃するハルヒの描写にトラウマをえぐられちゃう人もいるようです。鬱な人にはエヴァンゲリオンのほうがいいかもしれません。いっしょに死んでちょうだいやめて、ママを辞めないで!キライキライ!大嫌い!ほしい物は絶望。無へと帰りたいのどうでしょう、こっちの方が安心だと思うようならエヴァをどうぞ。

 ところで、このコンピ研襲撃部分の描写、テンポ良く「うる星やつら」のようにスラップスティックに構成したほうが安心して見られるんですが、逆にハルヒの台詞に1テンポ間をおいているのが面白くもあります。こんな風にも聞こえます(む、)四の五の言わずに一台よこせ(えっと)そこまで言うのならこっちにも考えがあるわよ(うーん)いったい何人があんたの言葉に耳を貸すかしらねえ編集段階で1テンポいれたんでしょうか、それと書き写していて思うのですが、字面はものすごく凶暴ですね
画面上からは[キョンが見てるんだからいいトコ見せたい]が伝わってくるんですが、やっぱ普通のツンデレじゃない。

 まだ文章力リハビリの成果は思わしくないようです。こんな所まで読んでくださる方(いるのか?)には申し訳ないので、小ネタを出します
漫画 涼宮ハルヒちゃんの憂鬱1巻を入手。

 無限ライオンとは、自らの尻尾を噛んでトーラス形状になり、空間移動する宇宙生物である。このときウロボロス化した無限ライオンは物理的無限ループを形成するが、亜光速でループする事により自らティプラーの円筒となる事で自身を瞬間移動させる。
TPDDもまた、脳内に論理的無限ループを形成することによって自らの精神をマッハのバケツとし、主観時間と物理時間の間にずれを生じさせる事で時間移動を行うデバイスである。作中で無限ライオンが長門有希ではなく朝比奈みくるに飼われているのは、その移動器官とTPDDの動作原理が似通っている為で、みくるが無限ライオンを首に巻く事で、両者のアイドル時ループが共振する事によりみくるの心理的安定と両者の保温が図れる為である。また両器官を同時に駆動すると、航続距離/時間の飛躍的増大がもたらされる。(下手な文ですみません)

とかなんとか電波設定が降ってきました。
追記します:上記は勿論妄想設定です。無限ライオンのほうはともかく、TPDDが亜光速では未来にしか行けませんよね。時間平面を破壊しないし。ただ脳内にある無形のシステムですから、なにか心理的な機構があるはずだとは思います。一応、心理ループが超光速(ってなに?)になると過去に移動するとしておきます。
ちなみに私は欲しい物は壊れても手に入れるわが素晴らしいですね。
思い入れたっぷりでないところがこの作家がオフィシャルとしてえらばれた理由ではないかと思うのですがどうでしょう。

 ちょっと話は変わります。
「パロ(同人業界用語)」とは自分の持ちキャラにコスプレさせる事であると言った人がいましたが、二次創作はむしろ原作のテイストを破壊しかねないほど逸脱した方がおもしろいのではないでしょうか。
たとえばこことか。見るたびに胸がキリキリ痛くなります。朝倉さんはこんな事言わないのは当然ですし、むしろ「下の朝倉漫画の続きです。」の「まるで普通の女の子みたい…」のほうが本編のテイストに近いのですが、ここに来られるような方にはこちらを推奨します。
トップページはここです。全年齢対象ですが、すこしだけ不健全なのでご注意を。ここの健全ネタに関しては私のような朴念仁がコメントするべきではないでしょう。
追記:上記で紹介のサイトは閉鎖されました。ちょっと失礼な紹介文だったのを反省(確認)